・・・ 未だお昼前だのに来る人の有ろう筈もなしと思うと昨日大森の家へ行って仕舞ったK子が居て呉れたらと云う気持が一杯になる。 いつ呼んでも来て呉れる心安い、明けっぱなしで居られる友達の有難味を、離れるとしみじみと感じる。 彼の人が来れ・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・「昨日お命じの事件を」と云いさして、書類を出す。課長は受け取って、ざっと読んで見て、「これで好い」と云った。 木村は重荷を卸したような心持をして、自分の席に帰った。一度出して通過しない書類は、なかなか二度目位で滞りなく通過するもので・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・知らぬか、新田義興は昨日矢口で殺されてじゃ」「なに、二の君が」「今さら知ッたか、覚悟せよ」 跡は降ッた、剣の雨が。草は貰ッた、赤絵具を。淋しそうに生まれ出る新月の影。くやしそうに吹く野の夕風。 中「山里は・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ええ、昨日も先生が、そう仰言っていられましてよ。」「あたし、あの露のある芝生の上を、一度歩きたくってしょうがありませんの。」「そうでございますわね。でも、もう直ぐ、あんなにお笑いになれますわ。」 看護婦たちはまた花の中から現われ・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・今でも自分は昨日のことのように思い起こすことができる。シナの玉についての講義の時に、先生は玉の味が単に色や形にはなくして触覚にあることを説こうとして、適当な言葉が見つからないかのように、ただ無言で右手をあげて、人さし指と中指とを親指に擦りつ・・・ 和辻哲郎 「岡倉先生の思い出」
出典:青空文庫