・・・しかしとうとう晩年には悲壮なつきだったことに堪えられないようになりました。この聖徒も時々書斎の梁に恐怖を感じたのは有名です。けれども聖徒の数にはいっているくらいですから、もちろん自殺したのではありません。」 第四の龕の中の半身像は我々日・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ヘルンでも晩年はそうだったんだろう。」「いや、僕は幻滅したんじゃない。illusion を持たないものに disillusion のあるはずはないからね。」「そんなことは空論じゃないか? 僕などは僕自身にさえ、――未だに illus・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・しかしどこか独自なところがあって、平生の話の中にも、その着想の独創的なのに、我々は手を拍って驚くことがよくあった。晩年にはよく父は「自分が哲学を、自分の進むべき路として選んでおったなら、きっと纏まった仕事をしていたろう」と言っていた。健康は・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・ 初代の喜兵衛も晩年には度々江戸に上って、淡島屋の帳場に座って天禀の世辞愛嬌を振播いて商売を助けたそうだ。初代もなかなか苦労人でかつ人徳があったが、淡島屋の身代の礎を作ったのは全く二代目喜兵衛の力であった。四 狂歌師岡鹿楼笑名・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 鴎外は人に会うのが嫌いで能く玄関払いを喰わしたという噂がある。晩年の鴎外とは疎縁であったから知らないが、若い頃の鴎外はむしろ客の来るのを喜んで、鴎外の書斎はイツモお客で賑わった。 私が最も頻繁に訪問したのは花園町から太田の原の千駄・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・は天衣無縫の棋風として一世を風靡し、一時は大阪名人と自称したが、晩年は不遇であった。いや、無学文盲で将棋のほかには何にも判らず、世間づきあいも出来ず、他人の仲介がなくてはひとに会えず、住所を秘し、玄関の戸はあけたことがなく、孤独な将棋馬鹿で・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・私は晩年の日蓮のやさしさに触れて、ますます往年の果敢な法戦に敬意を抑え得ないのである。 彼は故郷への思慕のあまり、五十町もある岨峻をよじて、東の方雲の彼方に、房州の浜辺を髣髴しては父母の墓を遙拝して、涙を流した。今に身延山に思恩閣として・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 聖フランシスと聖クララの晩年の生活。男ひじりと女ひじりともに住みたまふみ山はあれか筑波こほしも 二人の中に共通の道を持ち、事業を持ち、それによって燃え上る恋もまた美しい。ひとつに融け合う夫婦生活は尊い。ブース夫婦。ガン・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・殊に、モリエールの晩年の「タルチーフ」や、「厭人家」などは、喜劇と云っていゝか、悲劇と云っていゝか分らないものだ。それだけに、打たれる度も深く強い。 ゴーゴリや、モリエールの持っていた冷かな情熱と憎悪を以て、今のブルジョアをバクロする喜・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・しかしそれらは素より馬琴のためにこれを語るさえ余り気の毒な位の、至って些細な、下らぬものでありまして、名誉心と道義心との非常に強かった馬琴は、晩年に至りまして、これらの下らぬ類の著作を自分が試みたといわれるのを遺憾に思って、自らその書をもと・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
出典:青空文庫