・・・かれが高等学校にはいったばかりのころで、暑中休暇に帰省してみたら、痩せて小さく、髪がちぢれて、眼のきびしい十六七の小間使いがいて、これが、かれの身のまわりを余りに親切に世話したがるので、男爵は、かえってうるさく、いやらしいことに思い、ことご・・・ 太宰治 「花燭」
・・・そのとしの暑中休暇には、彼は見込みある男としての誇りを肩に示して帰郷した。彼のふるさとは本州の北端の山のなかにあり、彼の家はその地方で名の知られた地主であった。父は無類のおひとよしの癖に悪辣ぶりたがる性格を持っていて、そのひとりむすこである・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・ほどなく暑中休暇にはいり、東京から二百里はなれた本州の北端の山の中にある私の生家にかえって、一日一日、庭の栗の木のしたで籐椅子にねそべり、煙草を七十本ずつ吸ってぼんやりくらしていた。馬場が手紙を寄こした。 拝啓。 死ぬことだけは、待・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・そのとしの暑中休暇に、故郷へ帰る途中、汽車がそのASという温泉場へも停車したので、私は、とっさの中に覚悟をきめ、飛鳥の如く身を躍らせて下車してしまった。 その夜、私は浪と逢った。浪は、太って、ずんぐりして、ちっとも美しくなかった。私は、・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・であった暑中休暇も廃止されるくらいであるから。 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・昔の武士の中の変人達が酷暑の時候にドテラを着込んで火鉢を囲んで寒い寒いと云ったという話があるが、暑中に烈火の前に立って油の煮えるのを見るのは実は案外に爽快なものである。 暑い時に風呂に行って背中から熱い湯を浴びると、やはり「涼しい」とか・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・それでいつもはきまって帰省する暑中休暇をその年はじめてどこへも行かずにずっと東京で暮らす事になった。長い休暇の所在なさを紛らす一つの仕事として私はヴァイオリンのひとり稽古をやっていた。その以前から持ってはいたが下宿住まいではとかく都合のよく・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・たとえ生きていてももう再び会う事があるかどうかもわからず、通り一ぺんの年賀や暑中見舞い以外に交通もない人は、結局は思い出の国の人々であるにもかかわらず、その死のしらせはやはり桐の一葉のさびしさをもつものである。 雑記帳の終わりのページに・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ 話は前へもどって、わたくしは七月の初東京の家に帰ったが、間もなく学校は例年の通り暑中休暇になるので、家の人たちと共に逗子の別荘に往き九月になって始めて学校へ出た。しかしこれまで幾年間同じ級にいた友達とは一緒になれず、一つ下の級の生徒に・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ 私は毎年の暑中休暇を東京に送り馴れたその頃の事を回想して今に愉快でならぬのは七月八月の両月を大川端の水練場に送った事である。 自分は今日になっても大川の流のどの辺が最も浅くどの辺が最も深く、そして上汐下汐の潮流がどの辺において最も・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫