・・・四六時中に熱帯の暑気と初冬の霜を見ることでありますれば、植生は堪ったものでありません。その時にあたってユトランドの農夫が収穫成功の希望をもって種ゆるを得し植物は馬鈴薯、黒麦、その他少数のものに過ぎませんでした。しかし植林成功後のかの地の農業・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・それがこの三年以来の暑気だという東京の埃りの中で、藻掻き苦しんでいる彼には、好い皮肉であらねばならなかった。「いや、Kは暑を避けたんじゃあるまい。恐らくは小田を勿来関に避けたという訳さ」 斯う彼等の友達の一人が、Kが東京を発った後で・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・鴻巣上尾あたりは、暑気に倦めるあまりの夢心地に過ぎて、熊谷という駅夫の声に驚き下りぬ。ここは荒川近き賑わえる町なり。明日は牛頭天王の祭りとて、大通りには山車小屋をしつらい、御神輿の御仮屋をもしつらいたり。同じく祭りのための設けとは知られなが・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・それらの者はこの六月の末という暑気に重い甲冑を着て、矢叫、太刀音、陣鐘、太鼓の修羅の衢に汗を流し血を流して、追いつ返しつしているのであった。政元はそれらの上に念を馳せるでもない、ただもう行法が楽しいのである。碁を打つ者は五目勝った十目勝った・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・「頭がいたくてね、暑気に負けたのだろう。信州のあの温泉、あのちかくには知ってる人もいるし、いつでもおいで、お米持参の心配はいらない、とその人が言っているんだ。二、三週間、静養して来たい。このままだと、僕は、気が狂いそうだ。とにかく、東京・・・ 太宰治 「おさん」
・・・おにぎりは三日分くらい用意して来たのですが、ひどい暑気のために、ごはん粒が納豆のように糸をひいて、口に入れて噛んでもにちゃにちゃして、とても嚥み込む事が出来ない有様になって来ました。下の男の子には、粉ミルクをといてやっていたのですが、ミルク・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・もっともI君の家は医家であったので、炎天の長途を歩いて来たわれわれ子供たちのために暑気払いの清涼剤を振舞ってくれたのである。後で考えるとあの飲料の匂の主調をなすものが、やはりこの杏仁水であったらしい。 明治二十年代の片田舎での出来事とし・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・「いや今晩は、どうもひどい暑気ですね。」「へい、全く、虫でしめっ切りですからやりきれませんや。」「そうねえ、いや、さよなら。」撃剣の先生はまただんだん向うへ叫んで行きました。 この声がだんだん遠くなって、どこかの町の角でもま・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ あっちじゃいつも青い茶を飲むんです、暑気払いに大変いいんです。 小さいカンの底に少し入っているまんま持って行ったら、手のひらへあけて前歯の間でかんだ。 ――これはありがたい! いい茶ですね、本物の青茶だ。 十一月四日。・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
七月も一日二日で十日になる。今年も暑気はきびしいように思われる。年々のいろいろな七月、いろいろなあつさを思いかえすうち、不図明るい一つの絵提灯のような色合いでパリの七月十四日の夜が記憶に甦って来た。 一七八九年の七月十・・・ 宮本百合子 「十四日祭の夜」
出典:青空文庫