・・・――故郷の大通りの辻に、老舗の書店の軒に、土地の新聞を、日ごとに額面に挿んで掲げた。表三の面上段に、絵入りの続きもののあるのを、ぼんやりと彳んで見ると、さきの運びは分らないが、ちょうど思合った若い男女が、山に茸狩をする場面である。私は一目見・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・は他人より手ひどく攻撃されるという、廻合せの皮肉さに、すこしは苦笑する余裕があっても良かりそうなものだのに、お前はそんな余裕は耳掻きですくう程も無く、すっかり逆上してしまって、自身まで出向いて、市中の書店を駈けずりまわり、古本屋まで買い漁っ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・を小山書店から出さないかというような手紙もくれた。思えば、私の恩人である。 私にもっとも近しい、そして恩人である作家を、突如として失ってしまった、私はもう言うべきことを知らない。私としても非常に残念で痛惜やる方ないが、文壇としても残念で・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・柳吉は近くの下寺町の竹本組昇に月謝五円で弟子入りし二ツ井戸の天牛書店で稽古本の古いのを漁って、毎日ぶらりと出掛けた。商売に身をいれるといっても、客が来なければ仕様がないといった顔で、店番をするときも稽古本をひらいて、ぼそぼそうなる、その声が・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 岩波書店主茂雄君のお母さんは信濃の田舎で田畑を耕し岩波君の学資を仕送りした。たまに上京したとき岩波君がせめて東京見物させようと思っても、用事がすむとさっさと帰郷してしまった。息子を勉強させたいばかりに働いていたのだ。そして岩波君が志操・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・祭礼かと見まごうばかりにぎやかに飾り立てたある書店の前の広告塔が目につく。私は次郎や末子にそれを指して見せた。「御覧、競争が始まってるんだよ。」 紅い旗、紅い暖簾は、車の窓のガラスに映ったり消えたりした。大量生産の機運に促されて、廉・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・青森の新町の北谷の書店の前で、高等学校の帽子をかぶっていたのへ、中学生がお辞儀した。あなたはやはり会釈を返したとき、こちらが知っているのに、むこうが知らないことはさびしいと思ったが、あなたに返礼されただけでそれでもいささか満足であった。僕は・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・コレラ一万ノ正直、シカモ、バカ、疑ウコトサエ知ラヌ弱ク優シキ者、キミヲ畏敬シ、キミノ五百枚ノ精進ニ魂消ユルガ如ク驚キ、ハネ起キテ、兵古帯ズルズル引キズリナガラ書店ヘ駈ケツケ、女房ノヘソクリ盗ンデ短銃買ウガ如キトキメキ、一読、ムセビ泣イテ、三・・・ 太宰治 「創生記」
・・・が、高梨書店から「信天翁」が出る筈です。「信天翁」には、主として随筆を収録しました。七月までには、みんな出るでしょう。 少し休みたいと思います。私はことし三十三であります。女の子がひとりあります。・・・ 太宰治 「私の著作集」
・・・ それでこの間この書物を某書店の棚に並んだ赤表紙の叢書の中に見附けた時は、大いに嬉しかった。早速読みかかってみるとなかなか面白い。丁度自分が知りたいと思っていたような疑問の解釈が到る処に出て来た。そして更に多くの新しい問題を暗示された。・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
出典:青空文庫