・・・そのときに足踏みならしてたぬきの歌う歌の文句が、「こいさ(今宵お月夜で、お山踏み(たぶん山見分も来まいぞ」というので、そのあとに、なんとかなんとかで「ドンドコショ」というはやしがつくのである。それを伯母が節おもしろく「コーイーサー、、オーツ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・八重はあしたの晩、哥沢節のさらいに、二上りの『月夜烏』でも唱おうかという時、植込の方で烏らしい鳥の声がしたので、二人は思わず顔を見合せて笑った。その時分にはダンスはまだ流行していなかったのだ。 麻布に廬を結び独り棲むようになってからの事・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ モオパッサンはその短篇中に描いたセエヌ河の舟遊びによって、漫にわれわれの過ぎ去った学生時代を意味深く回想させ、ゴンクウル兄弟が En 18… の篇中に書いた月夜ムウドンの麗しい叙景は、蘆と水楊の多い綾瀬あたりの風景をよろこぶ自分に対し・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・勿論月夜の景で、波は月に映じてきらきらとして居る。昼のように明るい。それで遠くに居る小舟まで見えるので、さてその小舟が段々遠ざかって終に見えなくなったという事を句にしようと思うたが出来ぬ。しかしまだ小舟はなくならんので、ふわふわと浮いて居る・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・しかも桜のうつくしき趣を詠み出でたるは四方より花吹き入れて鳰の海 芭蕉木のもとに汁も鱠も桜かな 同しばらくは花の上なる月夜かな 同奈良七重七堂伽藍八重桜 同のごときに過ぎず。蕪村に至りては阿古久曽・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・おや、あの河原は月夜だろうか。」 そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 8 月夜のでんしんばしらうろこぐもと鉛色の月光、九月のイーハトヴの鉄道線路の内想です。 9 鹿踊りのはじまりまだ剖れない巨きな愛の感情です。すすきの花の向い火や、きらめく赤褐の樹立のなかに、鹿が無心に遊んで・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
「美しき月夜」は一九一九年の夏アメリカのレーク・ジョウジという湖畔に暮したころに書かれた。この作品は、われわれの人生に災難という形であらわれる偶然の力につよく印象づけられたことがあって、それが題材にされた。それから数年後に書・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・のグループが北村清吉を代表として部落委員会らしいものを組織する話をもち出してくるのであるが、この月夜の晩、彼プロレタリア作家の心は「この一言でまるで満月のようにふくれてしまった。」そしてただちに「同志Tよ。僕の煩悶は無駄であった」と安心し、・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・その海の断面のような月夜の下で、花園の花々は絶えず群生した蛾のようにほの白い円陣を造っていた。そうして月は、その花々の先端の縮れた羊のような皺を眺めながら、蒼然として海の方へ渡っていった。 そういう夜には、彼はベランダからぬけ出し夜の園・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫