・・・の記事によれば、当日の黄塵は十数年来未だ嘗見ないところであり、「五歩の外に正陽門を仰ぐも、すでに門楼を見るべからず」と言うのであるから、よほど烈しかったのに違いない。然るに半三郎の馬の脚は徳勝門外の馬市の斃馬についていた脚であり、そのまた斃・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・――猶予未だ決せず、疑う所は神霊に質す。請う、皇愍を垂れて、速に吉凶を示し給え。」 そんな祭文が終ってから、道人は紫檀の小机の上へ、ぱらりと三枚の穴銭を撒いた。穴銭は一枚は文字が出たが、跡の二枚は波の方だった。道人はすぐに筆を執って、巻・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・道士は凡ての反感に打克つだけの熱意を以て語ろうとしたが、それには未だ少し信仰が足りないように見えた。クララは顔を上げ得なかった。 そこにフランシスがこれも裸形のままで這入って来てレオに代って講壇に登った。クララはなお顔を得上げなかった。・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・立花は涙も出ず、声も出ず、いうまでもないが、幾年月、寝ても覚ても、夢に、現に、くりかえしくりかえしいかに考えても、また逢う時にいい出づべき言を未だ知らずにいたから。 さりながら、さりながら、「立花さん、これが貴下の望じゃないの、天下・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 水を恐れて雨に懊悩した時は、未だ直接に水に触れなかったのだ。それで水が恐ろしかったのだ。濁水を冒して乳牛を引出し、身もその濁水に没入してはもはや水との争闘である。奮闘は目的を遂げて、牛は思うままに避難し得た。第一戦に勝利を得た心地であ・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・東海道の鉄道さえが未だ出来上らないで、鉄道反対の気焔が到る処の地方に盛んであった。 二十五年前には思想の中心は政治であった。文学が閑余の遊戯として見られていたばかりでなく、倫理も哲学も学者という小団体の書斎に於ける遊戯であった。科学の如・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・とあれば、天国とは人の心の福なる状態であると云う、人類の審判に関わるイエスの大説教(馬太伝二十四章・馬可は是猶太思想の遺物なりと称して、之を以てイエスの熱心を賞揚すると同時に彼の思想の未だ猶太思想の旧套を脱卻する能わざりしを憐む、彼等は神の・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・而して其の後此の家に注目したが、未だこの家の主らしい男を見たことがなかった。時々家の前に七ツ八ツの青白い顔の女の児が、乳飲児を負って立っているのを見た。妻がその女の児を見ながら、『死んだ人の顔だってあんなに青くはない。』と言ったことがあ・・・ 小川未明 「ある日の午後」
・・・ もっとも私はこの三十三歳を以て、未だ若しとするものではない。青春といい若さといい、結局三十歳までではあるまいか。ウェルテルもジュリアンソレルもハムレットも、すべて皆二十代であった。八百屋お七の恋人は十七歳であったと聴く。三十面をさげて・・・ 織田作之助 「髪」
・・・第一中隊のシードロフという未だ生若い兵が此方の戦線へ紛込でいるから如何してだろう?と忙しい中で閃と其様な事を疑って見たものだ。スルト其奴が矢庭にペタリ尻餠を搗いて、狼狽た眼を円くして、ウッとおれの面を看た其口から血が滴々々……いや眼に見える・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫