・・・斎藤さんは島木さんの末期を大往生だったと言っている。しかし当時も病気だった僕には少からず愴然の感を与えた。この感銘の残っていたからであろう。僕は明けがたの夢の中に島木さんの葬式に参列し、大勢の人人と歌を作ったりした。「まなこつぶらに腰太き柿・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・何かそのほかにも末期の際に、心遺りはないかと云う。巡査は何も云う事はない、ピストル強盗を捉えたのは、この上もない満足だと云う。 ――その時ひっそりした場内に、三度将軍の声が響いた。が、今度は叱声の代りに、深い感激の嘆声だった。「偉い・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ もう、それが末期だと思って、水を飲んだ時だったのです。 脚気を煩って、衝心をしかけていたのです。そのために東京から故郷に帰る途中だったのでありますが、汚れくさった白絣を一枚きて、頭陀袋のような革鞄一つ掛けたのを、玄関さきで断られる・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・沼南統率下の毎日新聞社の末期が惰気満々として一人も本気に働くものがなかったのはこれがためであった。 松隈内閣だか隈板内閣だかの組閣に方って沼南が入閣するという風説が立った時、毎日新聞社にかつて在籍して猫の目のようにクルクル変る沼南の朝令・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・子のわずかに人間の可能性を描こうとする努力のうかがわれる小説をきらいだと断言する上林暁が、近代小説への道に逆行していることは事実で、偶然を書かず虚構を書かず、生活の総決算は書くが生活の可能性は書かず、末期の眼を目標とする日本の伝統的小説の限・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ わが国でも大正末期ごろにはそうした技法によって他人との接触面をカバーするような知性がはやったこともあったが、今はそうではない。愛し、誓い、捧げ、身を捨てるようなまともな態度でなければこの人生の重大面を乗り切れないからである。元来日本人・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・徳川中期より末期の人。箏曲家他。文化九年、備後国深安郡八尋村に生まれた。名は、重美。前名、矢田柳三。孩児の頃より既に音律を好み、三歳、痘を病んで全く失明するに及び、いよいよ琴に対する盲執を深め、九歳に至りて隣村の瞽女お菊にねだって正式の琴三・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・道太の見たのはおそらくその末期でしかなかったが、彼女はその時代を知っていた。 下へおりていくと、お絹が流しの方にいた。白い襦袢に白い腰巻をして、冬大根のように滑らかな白い脛を半分ほど出してまめまめしく、しかしちんまりと静かに働いていた。・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・けきぜんと故なきに響を起して、白き筋の横縦に鏡に浮くとき、その人末期の覚悟せよ。――シャロットの女が幾年月の久しき間この鏡に向えるかは知らぬ。朝に向い夕に向い、日に向い月に向いて、厭くちょう事のあるをさえ忘れたるシャロットの女の眼には、霧立・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・池辺君が胸部に末期の苦痛を感じて膏汗を流しながらもがいている間、余は池辺君に対して何らの顧慮も心配も払う事ができなかったのは、君の朋友として、朋友にあるまじき無頓着な心持を抱いていたと云う点において、いかにも残念な気がする。余が修善寺で生死・・・ 夏目漱石 「三山居士」
出典:青空文庫