○ 支那事変がはじまって五年、大東亜戦争がはじまって満一ヵ年と十ヵ月経って秋も深くなった。 燃料がどこの家でも不如意になって来ていて、風呂たきは注意ぶかい一家の行事の一つとなった。 いろいろのも・・・ 宮本百合子 「折たく柴」
・・・大東亜文学者大会というのがあります。村岡花子が日本の女流作家だそうです。 十一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より〕 今日は嬉しいことがあります。オリザビトンが五つ程みつかりました。今そちらにいくつかあるでしょうから、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 現在のところでは上野の帝国図書館にしろ蔵書の量と種目とでは決して満足と云えないし、日比谷の市立図書館を、東亜の大首都東京市の代表図書館であると云わなければならないことには、些か忸怩たるものがありはしないだろうか。図書館へは学生のうちだ・・・ 宮本百合子 「実際に役立つ国民の書棚として図書館の改良」
・・・少くとも東亜の指導力たる日本は、その程度の文明の奥ゆきというか、厚みというかは蓄積されて来ている。 文学はなるほど人の心を慰めるものであり将棋も名人となれば一つの精神の王国をもっているであろう。だが、名人にとって将棋は娯楽の範囲にとどま・・・ 宮本百合子 「日本文化のために」
・・・一億一心、八紘一宇、聖戦、大東亜共栄圏というような狂信的用語が至るところに溢れた。文学はこれらの言葉の下に埋没した。この緊迫した状態のもとで宮本の公判がはじまった。当時宮本は公判廷に出ても席に耐えないでベンチの上に横になる程疲労していた・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・特に太平洋戦争が始まってから、我々日本の人民は、その戦争を大東亜戦争という名で呼ばされた。且つ「聖戦」と言い聞かされた。ところが敗戦してポツダム宣言を受諾した時、日本は連合諸国から戦争犯罪国として、対等の国際的自立性を奪われた。私達祖国を愛・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ 今日、昭和の御世、日本が東亜の指導者となりつつあるといわれているとき、国の中で首府の真中で、そういう気風が現われているということについて、私たちは何を考えさせられるだろうか。そして、要路の指導者たちはそれに対してどんな方策を考慮してい・・・ 宮本百合子 「私の感想」
一 ファウストを訳した時の苦心を話すことを、東亜之光の編者に勧められた。然るに私は余り苦心していない。少くも話の種にする程、苦心していない。こう云うのがえらがるのでないことは勿論である。また過誤のあった時、分疏をするために予め地・・・ 森鴎外 「不苦心談」
出典:青空文庫