・・・「御寝なります、へい、唯今女中を寄越しまして、お枕頭もまた、」「いいえ、煙草は飲まない、お火なんか沢山。」「でも、その、」「あの、しかしね、間違えて外の座敷へでも行っていらっしゃりはしないか、気をつけておくれ。」「それは・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 渠が寝られぬ短夜に……疲れて、寝忘れて遅く起きると、祖母の影が見えぬ…… 枕頭の障子の陰に、朝の膳ごしらえが、ちゃんと出来ていたのを見て、水を浴びたように肝まで寒くした。――大川も堀も近い。……ついぞ愚痴などを言った事のない祖母だ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 扱帯の下を氷で冷すばかりの容体を、新造が枕頭に取詰めて、このくらいなことで半日でも客を断るということがありますか、死んだ浮舟なんざ、手拭で汗を拭く度に肉が殺げて目に見えて手足が細くなった、それさえ我儘をさしちゃあおきませなんだ、貴女は・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 十 その瞼に朱を灌ぐ……汗の流るる額を拭って、「……時に、その枕頭の行燈に、一挺消さない蝋燭があって、寂然と間を照しておりますんでな。 ――あれは―― ――水天宮様のお蝋です―― と二つ並んだそ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 段の上にすッくと立って、名家の彫像のごとく、目まじろきもしないで、一場の光景を見詰めていた黒き衣、白き面、清せいく鶴に似たる判事は、衝と下りて、ずッと寄って、お米の枕頭に座を占めた。 威厳犯すべからざるものある小山の姿を、しょぼけ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・東に向けて臥床設けし、枕頭なる皿のなかに、蜜柑と熟したる葡萄と装りたり。枕をば高くしつ。病める人は頭埋めて、小やかにぞ臥したりける。 思いしよりなお瘠せたり。頬のあたり太く細りぬ。真白うて玉なす顔、両の瞼に血の色染めて、うつくしさ、気高・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ 妾宅では、前の晩、宵に一度、てんどんのお誂え、夜中一時頃に蕎麦の出前が、芬と枕頭を匂って露路を入ったことを知っているので、行けば何かあるだろう……天気が可いとなお食べたい。空腹を抱いて、げっそりと落込むように、溝の減った裏長屋の格子戸・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・名古屋の客に呼ばれて……お信――ええ、さっき私たち出しなに駒下駄を揃えた、あの銀杏返の、内のあの女中ですわ――二階廊下を通りがかりにね、……(お水枕頭にあるんですから。……これが襖越しのやりとりよ。…… 私?……私は毎朝のように、お・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ しかるに巡査は二つ三つ婦人の枕頭に足踏みして、「おいこら、起きんか、起きんか」 と沈みたる、しかも力を籠めたる声にて謂えり。 婦人はあわただしく蹶ね起きて、急に居住まいを繕いながら、「はい」と答うる歯の音も合わず、その・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・夜具は申すまでもなく、絹布の上、枕頭の火桶へ湯沸を掛けて、茶盆をそれへ、煙草盆に火を生ける、手当が行届くのでありまする。 あまりの上首尾、小宮山は空可恐しく思っております。女は慇懃に手を突いて、「それでは、お緩り御寝みなさいまし、ま・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
出典:青空文庫