・・・この頃の或る新聞に、沼南が流連して馴染の女が病気で臥ている枕頭にイツマデも附添って手厚く看護したという逸事が載っているが、沼南は心中の仕損いまでした遊蕩児であった。が、それほど情が濃やかだったので、同じ遊蕩児でも東家西家と花を摘んで転々する・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 眼が覚めてみると、此処は師団の仮病舎。枕頭には軍医や看護婦が居て、其外彼得堡で有名な某国手がおれの傷を負った足の上に屈懸っているソノ馴染の顔も見える。国手は手を血塗にして脚の処で暫く何かやッていたが、頓て此方を向いて、「君は命拾を・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ やがて、一同が枕頭に集って、綿の筆で口の内外へ水を塗ってやりました。私が「基次郎」と呼ぶと、病人はパッと眼を見開きますが「お母さんだぜ、分って居るか」と言っても何の手応えもなく直ぐまた眼を閉じて仕舞います。漸々と出る息が長く引く息は短・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・「寝ていなさるが枕頭に嬢様呼んで何か細い声で話をしておいでるようで……」「そうか」「まア上って晩まで遊んでおいでなされませえの」「晩にでも来る!」 細川は自分の竿を担ついで籠をぶらぶら下げ、浮かぬ顔をして、我家へと帰った・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 主人の少女は小さな箱から氷の片を二ツ三ツ、皿に乗せて出して、少年の枕頭に置て、「もう此限ですよ、また明日買ってあげましょうねエ」「風邪でもおひきなさったの!」と客なる少女は心配そうに言った。「もう快々んですよ。熱いこと、少し開・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・彼女は、清吉の枕頭に来て、風呂敷包を拡げて見せた。 染め絣、モスリン、銘仙絣、肩掛、手袋、などがあった。「これ、品の羽織にしてやろうと思うて……」 と彼女は銘仙絣を取って清吉に見せた。「うむ。」「この縞は綿入れにしてやろ・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・時々眼を開いて見ると、部屋の中まで入って来る饑えた鼠の朦朧と、しかも黒い影が枕頭に隠れたり顕れたりする。時には、自分の身体にまで上って来るような物凄い恐怖に襲われて、眼が覚めることが有った。深夜に、高瀬は妻を呼起して、二人で台所をゴトゴト言・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・夕刊を枕頭に置いてくれ。」 翌る朝、私は九時頃に起きた。たいてい私は八時前に起床するのだが、大隅君のお相手をして少し朝寝坊したのだ。大隅君は、なかなか起きない。十時頃、私は私の蒲団だけさきに畳む事にした。大隅君は、私のどたばた働く姿を寝・・・ 太宰治 「佳日」
・・・私が園子を抱えて、園子の小さい手を母の痩せた手のひらに押しつけてやったら、母は指を震わせながら握りしめた。枕頭にいた五所川原の叔母は、微笑みながら涙を拭いていた。 病室には叔母の他に、看護婦がふたり、それから私の一ばん上の姉、次兄の嫂、・・・ 太宰治 「故郷」
・・・一夜、三人の兵卒は、アグリパイナの枕頭にひっそり立った。一人は、死刑の宣告書を持ち、一人は、宝石ちりばめたる毒杯を、一人は短剣の鞘を払って。『何ごとぞ。』アグリパイナは、威厳を失わず、きっと起き直って難詰した。応えは無かった。 宣告・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫