・・・気の利いたような、そして同時に勇往果敢な、不屈不撓なような顔附をして、冷然と美しい娘や職工共を見ている。へん。お前達の前にすわっている己様を誰だと思う。この間町じゅうで大評判をした、あの禽獣のような悪行を働いた罪人が、きょう法律の宣告に依っ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 五 我を忘れてお民は一気に、思い切っていいかけた、言の下に、あわれ水ならぬ灰にさえ、かず書くよりも果敢げに、しょんぼり肩を落したが、急に寂しい笑顔を上げた。「ほほほほほ、その気で沢山御馳走をして下さいまし。・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・寄せ来るよう、砂地に立ってても身体が揺ぎそうに思われて、不安心でならぬから、浪が襲うとすたすたと後へ退き、浪が返るとすたすたと前へ進んで、砂の上に唯一人やがて星一つない下に、果のない蒼海の浪に、あわれ果敢い、弱い、力のない、身体単個弄ばれて・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・その紛々たる群議を排して所信を貫ぬいたのは井侯の果敢と権威とがなければ出来ない事であって、これもまた芸術を尊重する欧米文明の感化であったろう。 劇を文化の重要件として演劇改良が初めて提言されたのもまた当時であった。陛下の天覧が機会となっ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・私は晩年の日蓮のやさしさに触れて、ますます往年の果敢な法戦に敬意を抑え得ないのである。 彼は故郷への思慕のあまり、五十町もある岨峻をよじて、東の方雲の彼方に、房州の浜辺を髣髴しては父母の墓を遙拝して、涙を流した。今に身延山に思恩閣として・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ また信仰をモダンとか、シイクとかいうような生活様式の趣味や、型と矛盾するように思ったり、職業上や生活上の戦いの繊鋭、果敢というようなものと相いれないように考えたりするのも間違いである。信仰というものはそんな狭い、融通のきかないものでは・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・趣味の前には百万両だって煙草の煙よりも果敢いものにしか思えぬことを会得しないからだ。 骨董はどう考えてもいろいろの意味で悪いものではない。特に年寄になったり金持になったりしたものには、骨董でも捻くってもらっているのが何より好い。不老若返・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・その六人の跡から、ただ一人忙しい、不揃な足取で、そのくせ果敢の行かない歩き方で、老人が来る。丈が低く、がっしりしていて、背を真直にして歩いている。項は広い。その上に、直ぐに頭が付いている。背後にだけ硬い白髪の生えている頭である。破れた靴が大・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・かの勇猛果敢なざんげ聴聞僧の爪のあかでも、せんじて呑みたいほうで、ね。 ――ざんげじゃない。のろけじゃない。救いを求めているのでもない。私は、女の美しさを主張しているのです。それだけの事です。こうなって来ると、お仕舞いまで申しあげます。・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・三十四歳で死したるかれには、大作家五十歳六十歳のあの傍若無人のマンネリズムの堆積が、無かったので、人は、かれの、ユーゴー、バルザックにも劣らぬ巨匠たる貫禄を見失い、或る勇猛果敢の日本の男は、かれをカナリヤとさえ呼んでいた。 淀野隆三訳、・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
出典:青空文庫