・・・謂わば、私は、眠りと格闘していた。眠りと勝負を争っていた。長い細い触角でもって虚空を手さぐり、ほのかに、煙くらいの眠りでも捜し当てたからには、逃がすものか、ぎゅっとひっ捕えて、あわてて自分のふところを裁ち割り、無理矢理そのふところの傷口深く・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・しかしこの映画でもっともおもしろいのは、雪の林中でのトナカイと犬との格闘の場面である。トナカイが死地に陥って敢然たる攻勢を取り近寄る犬どもを踏みつぶそうとする光景は獣類とはいえ悲壮である。いかなる名優の活劇でも、これに比べてはおそらく茶番の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 王蛇がいたちのような小獣と格闘するときの身構えが実におもしろい見ものである。前半身を三重四重に折り曲げ強直させて立ち上がった姿は、肩をそびやかし肱を張ったボクサーの身構えそっくりである。そうして絶えずその立ち上がった半身を左右にねじ曲・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・無理の圧迫が劇しい時には弱虫の本性を現してすぐ泣き出すが、負けぬ魂だけは弱い体躯を駆って軍人党と挌闘をやらせた。意気地なく泣きながらも死力を出して、何処でも手当り次第に引っかき噛みつくのであった。喧嘩を慰みと思っている軍人党と、一生懸命の弱・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ガリレー、トリツェリ、ヴィヴィアニ、オットー・フォン・ゲーリケ、フック、ボイルなどといったような人がはなはだ粗末な今から見れば子供のおもちゃのような道具を使って、それで生きた天然と格闘して、しかして驚くべき重大な画期的実験を矢継ぎばやに行な・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・なお床下通り二十九番地ポ氏は、昨夜深更より今朝にかけて、ツェ氏並びにはりがねせい、ねずみとり氏の激しき争論、時に格闘の声を聞きたりと。以上を総合するに、本事件には、はりがねせい、ねずみとり氏、最も深き関係を有するがごとし。本社はさらに深く事・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・階級社会の力が面と面とをむけて格闘する革命の現実のうちにこそ、その革命の時代の最も典型的な諸事件と諸性格とがある。小市民的な日常と「個性」のうまやにとじこめられていた人類の伸びようとする精神は、二十世紀はじめのフランスのデガダニストたちのよ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・ゲーテが現実生活に処して行ったようなやりかたを鴎外は或る意味での屈伏であるとは見ず、その態度にならうことは、いつしか日本の鴎外にとっては非人間的な事情に対してなすべき格闘の放棄となっていたことをも、鴎外自身は自覚しなかったであろう。 杏・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・に影響されて当時の青鞜社風の女性の自我の覚醒と、対立者としての男性および恋愛との格闘を主題とした「煤煙」は自然主義的なリアリズムと、主観的ロマンチズムのまざりあった作品であったと記憶します。その森田氏は長篇「輪廻」をかきました。これも自然主・・・ 宮本百合子 「心から送る拍手」
・・・オセロの敏感な自尊心――黒人の劣等感のうらがえされたもの――そのものと、イヤゴーのユダ的性格そのものが、性格と性格の格闘として悲劇を形成している。 現代の悲劇というより、むしろ正劇は、個々の性格間の格闘というよりも拡大されて、人間理性の・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
出典:青空文庫