・・・ 子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。 桜桃が出た。 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・「しばらく逢わなかったけど、どうしたの?」「桜桃を取りに行っていたの。」「冬でも桜桃があるの?」「スウィス。」「そう。」 食慾も、またあの性慾とやらも、何も無い涼しい恋の会話が続いて、夢で、以前に何度も見た事のある、・・・ 太宰治 「フォスフォレッスセンス」
・・・伏目につつましく控えている碧い神経質な鋭い目も、官能的な桜桃色の唇も相当なものである。肌理の細かい女のような皮膚の下から綺麗な血の色が、薔薇色に透いて見える。黒褐色の服に雪白の襟と袖口。濃い藍色の絹のマントをシックに羽織っている。この画は伊・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・の場合においても、たとえば三人の管理人が小高い所へ立って桜ん坊か何かつまんでは吐き出しながらトラクターの来るのをながめているところがある。下のほうからカメラを上向けに、対眼点を高くしてとったために三人の垂直線が互いに傾き合って天の一方に集中・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ついで享保十一年に再び桜桃柳百五十株を植えさせたが、その場所は梅若塚に近いあたりの堤に限られていたというので、今日の言問や三囲の堤には桜はなかったわけである。文化年間に至って百花園の創業者佐原菊塢が八重桜百五十本を白髭神社の南北に植えた。そ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・まん中に居てきゃんきゃん調子をとるのがあれが桜桃の木ですか。」「どれですか。あああれですか。いいえ、あいつは油桃です。やっぱり巴丹杏やまるめろの歌は上手です。どうです。行って仲間にはいりましょうか。行きましょう。」「行きましょう。お・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・あなたの国でも桜ん坊や黒苺できますか? なんでもあるんでしょ? あっちでは。 ――日本に黒苺あるかしら。――見たことなかった。――おいしいわね、黒苺。歯が真黒んなって閉口だけれど。 ――砂糖さえたっぷり入れて煮ればね。 ――一月・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・緑濃き野面に一本の桜桃の樹が丸く紅の実をたわわにつけている。その枝の下に一人の若い女が柔かい顎をあげて梢を仰いでいる。その顎のまわりに父はペンをとって細い一連の鎖とロケットとを描き、ロケットの心臓型の表には、はっきり小さくYと刻まれている。・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・桜の花もないことはありませんが、あっちの人は桜と云う木は桜ん坊のなる木だとばかり思っていますから、花見はいたしません。ベルリンから半道ばかりの、ストララウと云う村に、スプレエ川の岸で、桜の沢山植えてある所があります。そこへ日本から行っている・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・花壇を掘り返している事もある。桜ん坊を摘んでいる事もある。一山もある、濡れた洗濯物を車に積んで干場へ運んで行く事もある。何羽いるか知れない程の鶏の世話をしている事もある。古びた自転車に乗って、郵便局から郵便物を受け取って帰る事もある。 ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫