・・・ 出征兵士の相当ある地方では、出征兵士の家族の若い婦人たちを茶話会、或いはその他の形であつめ、ブルジョアのバラまく戦争へのアジ、例えば桜井忠温の「銃剣は耕す」などという軍事通信の曝露をやり、次第にサークルへ組織して行くようなことも考えら・・・ 宮本百合子 「国際無産婦人デーに際して」
・・・ 日清・日露の時代とは比較にならず文化戦の意義は広汎に自覚されていて、作家の現地派遣も新しい時代の要求の方向を示すものである。桜井忠温は日露の時代が生んだ一種の戦場文筆家であるが、この人の文章にもやはり火野と同様の素朴な自然人の感情と兵・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 一番自分に似合う髪をやっと見つけたと思ったら、そういうわけなので、私は悲しいし、いやだし、心持をもてあまして、それから当分はまるで桜井の駅の絵にある正行のように、白い元結いで根のところを一つくくっただけの下げ髪にしていたことがあった。・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・三人の幼い子供たちに腰のまわりをかこまれて、立ってオルガンをひきながら、若々しい声を張りあげて「青葉しげれる桜井のウ、さアとの訣れの夕間暮」とうたっていた母。子供たちをよろこばせるためというよりも、もっと自分が楽しんで、その時分の母は、よく・・・ 宮本百合子 「母」
・・・日が窪から来る原田夫婦や、未亡人の実弟桜井須磨右衛門は、いつもそれを慰めようとして骨を折った。 然るにここに親戚一同がひどく頼みに思っている男が一人いる。この男は本国姫路にいるので、こう云う席には列することが出来なかったが、訃音に接する・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫