・・・が、日本の洋楽が椿岳や彦太楼尾張屋の楼主から開拓されたというは明治の音楽史研究者の余り知らない頗る変梃 椿岳は諸芸に通じ、蹴鞠の免状までも取った多芸者であった。お玉ヶ池に住んでいた頃、或人が不斗尋ねると、都々逸端唄から甚句カッポレのチリ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それはお絹も、家が没落したとき、土地にいるのが恥ずかしくて、そこでしばらく師匠をしていたので、何かの話のおりにその家と楼主の噂が出るのであった。「商売のできるくらいの金は、きっと持たして返すという話やったけれど、あっちの人はすす鋭いから・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・吉原の公娼制度が廃止されることは、健全な結婚の可能性が我々の生きる今日の社会条件の中に増大されたのではなくて、多額納税議員をもその中から出している女郎屋の楼主たちが、昨今の情勢で営業税その他を課せられてまでの経営は不利と認めたからである。・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
出典:青空文庫