・・・ 下り終列車の笛が、星月夜の空に上った時、改札口を出た陳彩は、たった一人跡に残って、二つ折の鞄を抱えたまま、寂しい構内を眺めまわした。すると電燈の薄暗い壁側のベンチに坐っていた、背の高い背広の男が一人、太い籐の杖を引きずりながら、のその・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・そのとき、ちょうど停車場の構内に、鶏が餌をさがしながら歩いていました。ふと鶏は頭をあげると、貨車に鉄のかごがのせられてあって、その内から真っ黒な怖ろしい動物が、じっと円い光る目で、こちらを見ているのに出あってびっくりいたしました。鶏は、コッ・・・ 小川未明 「汽車の中のくまと鶏」
・・・ 当てもないままに、赤井はひょこひょことさまようていたが、やがて耳の千切れるような寒さにたまりかねたのか、わずかの温みを求めて、足は自然に難波駅の地下鉄の構内に向いた。 そして構内に蠢いている浮浪者の群れの中にはいった赤井は、背中に・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ 原稿を送って再び阪急の構内へ戻って来ると、急に人影はまばらだった。さっきいた夕刊売りももういない。新吉は地下鉄の構内なら夕刊を売っているかも知れないと思い、階段を降りて行った。 阪急百貨店の地下室の入口の前まで降りて行った時、新吉・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・彼女は、乗り越したのではあるまいかと心配しながら、なお立って、停車場の構内をじろ/\見廻した。「僕、算術が二題出来なんだ。国語は満点じゃ。」醤油屋の坊っちゃんは、あどけない声で奥さんにこんなことを云いながら、村へ通じている県道を一番先に・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 青い褌 自動車は合図の警笛をならしながら、刑務所の構内に入って行った。 監獄のコンクリートの壁は、側へ行くと、思ったよりも見上げる程に高く、その下を歩いている人は小さかった。――自動車から降りて、その壁を何度も・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・そこは、ともかく何万坪という広い構内ですから、本所かいわいの人たちは、だれもそこなら安全だと思って、どんどん荷物をはこびこみました。夜になってからは、いよいよ多くの人が、むりやりにわりこんで来て、ぎっしり一ぱいにつまってしまいました。ところ・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・三島駅に降りて改札口を出ると、構内はがらんとして誰も居りませぬ。ああ、やはり駄目だ。私は泣きべそかきました。駅は田畑の真中に在って、三島の町の灯さえ見えず、どちらを見廻しても真暗闇、稲田を撫でる風の音がさやさや聞え、蛙の声も胸にしみて、私は・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 改札口を出て小さい駅の構内を見廻しても中畑さんはいない。駅の前の広場、といっても、石ころと馬糞とガタ馬車二台、淋しい広場に私と大久保とが鞄をさげてしょんぼり立った。「来た! 来た!」大久保は絶叫した。 大きい男が、笑いながら町・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・七月の二十八日朝に甲府を出発して、大月附近で警戒警報、午後二時半頃上野駅に着き、すぐ長い列の中にはいって、八時間待ち、午後十時十分発の奥羽線まわり青森行きに乗ろうとしたが、折あしく改札直前に警報が出て構内は一瞬のうちに真暗になり、もう列も順・・・ 太宰治 「十五年間」
出典:青空文庫