・・・気の合った友達と二人三人ずつ向うの隙き次第出掛けるだろう。僕の通って来たのはベーリング海峡から太平洋を渡って北海道へかかったんだ。どうしてどうして途中のひどいこと前に高いとこをぐんぐんかけたどこじゃない、南の方から来てぶっつかるやつはあるし・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・知事や大臣にはなれなくても、せめて軍人になれば出世は力次第だから。」という親心と息子の心を吸収して、百姓の息子でも、軍人ならば大将にだって成れる道として、軍国日本に軍人の道が開かれていたのである。日本の大学は、人類の理性と学問に関するアカデ・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・然るところその伽羅に本木と末木との二つありて、はるばる仙台より差下され候伊達権中納言殿の役人ぜひとも本木の方を取らんとし、某も同じ本木に望を掛け互にせり合い、次第に値段をつけ上げ候。 その時横田申候は、たとい主命なりとも、香木は無用の翫・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・能面に対してこれほど盲目であったことはまことに慚愧に堪えない次第であるが、しかしそういう感じ方にも意味はあるのである。自分はあの時、伎楽面の美しさがはっきり見えるように眼鏡の度を合わせておいて、そのままの眼鏡で能面を見たのであった。従って自・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
出典:青空文庫