・・・ここより歌人としての曙覧につきて少しく評するところあらんとす。 曙覧の歌は比較的に何集の歌に最も似たりやと問わば、我れも人も一斉に『万葉』に似たりと答えん。彼が『古今』、『新古今』を学ばずして『万葉』を学びたる卓見はわが第一に賞揚せんと・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・これらや歌人の歌枕なるべきとて 関守のまねくやそれと来て見れば 尾花が末に風わたるなり 薄の句を得たり。 大方はすゝきなりけり秋の山 伊豆相模境もわかず花すゝき 二十余年前までは金紋さき箱の行列・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・の階級対立のけわしさや、そのきびしい抑圧の中からも何かの可能性をひき出し、たとえ半歩たりとも具体的に前進しようとする階級の、いよいよ強靭にされる連帯性、積極性の大小さまざまの情熱的な現実の内容は、遙に歌人中河幹子氏の感情と芸術とを超えたもの・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・夫婦が、たすけあって畑仕事をしたりしているところの歌は、世間のどの歌人もふれ得ない境地に立っていると感じました。 わたくしは、小説をかく者ですから、『仰日』をはじから拝見しながらも、いつかそれを生活的に立体化して感受し、日々の生活の描写・・・ 宮本百合子 「歌集『仰日』の著者に」
・・・この一年間の私たちの生活というものは、歌人でない者にも何かの形でその心持をうたわずにはおれない思いをさせる程のものであったと云うことが出来ましょう。今日の現実は、風流なすさびと思われていた三十一文字を突破して、生きようと欲する大衆の声を工場・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
・・・かしこまってそこに連っている歌人・文学者たち一人一人の経歴が文学史的に細叙されているにつけ、つつしんでいる作者の描写が精密であればあるほど、そこにゴーゴリ風のあじわいが湧いて、読者は、全情景、登場人物などのすべてが、自分たちと同じ人間として・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・崇拝に導いて、「桂冠詩人としての日本武尊だの、万葉の歌人たち、或いは恋愛の女詩人和泉式部の再発見という風に進んだ。日本の文学は、そのように古典を学んだことで、却って、現代文学としての砦の所在を消し、より早く軍御用とさせるに役立った。 婦・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・私が若しも歌人でしたら、そこで幾首かは詠めたでしょう! そこから又八幡神社を抜けて行くと、古い建物のあと――東塔といって昔七重の高塔で頗る壮麗なものであったという、その塔の跡のあたり芝原になっています。そして其処にはパチコが一面に咲いて・・・ 宮本百合子 「「奈良」に遊びて」
・・・「先代をくわしく知るものはないがなんでも都の歌人でござったそうじゃが歌枕とかをさぐりにこのちに御出なさってから、この景色のよさにうち込んで、ここに己の骨を埋めるのだと一人できめて御しまいなされ京からあととりの若君、――今の殿が許婚の姫君・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・評論家、ジャーナリスト、歌人、俳人で検挙された人たちも少くなかった。 執筆この年は文学評論集『文学の進路』、『私たちの生活』――婦人のための評論集――が出版された。一九四二年この年はまだ健康を回復せず眼も見・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫