・・・やれ浄瑠璃の、やれ歌舞伎のと、見たくもないものばかり流行っている時でございますから、丁度よろしゅうございます。」 会話の進行は、また内蔵助にとって、面白くない方向へ進むらしい。そこで、彼は、わざと重々しい調子で、卑下の辞を述べながら、巧・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・斧と琴と菊模様の浴衣こそ菊枝をして身を殺さしめた怪しの衣、女が歌舞伎の舞台でしばしば姿を見て寐覚にも俤の忘られぬ、あこがるるばかり贔屓の俳優、尾上橘之助が、白菊の辞世を読んだ時まで、寝返りもままならぬ、病の床に肌につけた記念なのである。・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・――柳を中に真向いなる、門も鎖し、戸を閉めて、屋根も、軒も、霧の上に、苫掛けた大船のごとく静まって、梟が演戯をする、板歌舞伎の趣した、近江屋の台所口の板戸が、からからからと響いて、軽く辷ると、帳場が見えて、勝手は明い――そこへ、真黒な外套が・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・古人の先蹤を追った歌舞伎十八番のようなものでも椿岳独自の個性が自ずから現われておる。多い作の中には不快の感じを与えられるものもあるが、この不快は椿岳自身の性癖が禍いする不快であって、因襲の追随から生ずる不快ではない。この瑜瑕並び蔽わない特有・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・あアいう型に陥った大歌舞伎では型の心得のない素人役者では見得を切って大向うをウナらせる事は出来ないから、まるきり型や振事の心得のない二葉亭では舞台に飛出しても根ッから栄えなかったろうが、沈惟敬もどきの何とかいう男がクロンボを勤めてるよりも舞・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・中には戯文や駄洒落の才を頼んで京伝三馬の旧套を追う、あたかも今の歌舞伎役者が万更時代の推移を知らないでもないが、手の出しようもなくて歌舞伎年代記を繰返していると同じであった。が、大勢は終に滔々として渠らを置去りにした。 かかる折から卒然・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・丸万を出ると、歌舞伎の横で八卦見に見てもらった。水商売がよろしいと言われた。「あんたが水商売でわては鉱山商売や、水と山とで、なんぞこんな都々逸ないやろか」それで話はきっぱり決った。 帰って柳吉に話すと、「お前もええ友達持ってるなア」とち・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・この点あの歌舞伎芝居に出る娘の伝統を失ってはならぬ。シックな、活動的な洋装の下にも決してこの伝統の保存と再現とを忘れるな、かわいた、平板な、冷たい石婦のような女になってはならぬ。生命の美と、匂いと、液汁とを失っては娘ではない。だが牢記せよ、・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・二つ名のある、というのが日本の歌舞伎では悪党を形容する言葉になっているようだが、サタンは、二つや三つどころではない。デイアボロス、ベリアル、ベルゼブル、悪鬼の首、この世の君、この世の神、訴うるもの、試むる者、悪しき者、人殺、虚偽の父、亡す者・・・ 太宰治 「誰」
・・・くにゃりと上体をねじ曲げて、歌舞伎のうたた寝の形の如く右の掌を軽く頬にあて、口を小さくすぼめて、眼は上目使いに遠いところを眺めているという馬鹿さ加減だ。紺絣に角帯というのもまた珍妙な風俗ですね。これあいかん。襦袢の襟を、あくまでも固くきっち・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
出典:青空文庫