・・・その最も甚しい時に、自分は悪い癖で、女だてらに、少しガサツなところの有る性分か知らぬが、ツイ荒い物言いもするが、夫はいよいよ怒るとなると、勘高い声で人の胸にささるような口をきくのも止めてしまって、黙って何も言わなくなり、こちらに対って眼は開・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・その長い間、たゞ堰き止められる一方でいた言葉が、自由になった今、後から後からと押しよせてくるのだ。 保釈になった最初の晩、疲れるといけないと云うので、早く寝ることにしたのだが、田口はとうとう一睡もしないで、朝まで色んなことをしゃべり通し・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ 看護婦は驚いたように来て見て、大急ぎで水道の栓を止めた。「小山さん、そんな水いじりをなすっちゃ、いけませんよ。御覧なさいな、お悪戯をなさるものだから、あなたの手は皸だらけじゃありませんか」 と看護婦に叱られて、おげんはすごすご・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・すると馬が止めて、「いけません/\。ほうっておおきなさい。それをおひろいになると大へんなことがおこります。」と言いました。ウイリイはそのまま通り過ぎました。 ところが、しばらくいくと、同じような金色に光る羽根がまた一本おちています。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ 深い真昼時、船頭や漁夫は食事に行き、村人は昼寝をし、小鳥は鳴を鎮めて渡舟さえ動かず、いつも忙しい世界が、その働きをぴたりと止めて、急に淋しくおそろしいように成った時、宏い宏い、心に喰い入るような空の下には、唯、物を云わない自然と、こそ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・息の根を止めて殺してやろう下心。」これは、有名の詩句なんだそうだが、誰の詩句やら、浅学の私には、わからぬ。どうせ不埒な、悪文学者の創った詩句にちがいない。ジイドがそれを引用している。ジイドも相当に悪業の深い男のようである。いつまで経っても、・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・その前に教える事は極めて基礎的なところだけを、偏しない骨の折れない程度に止めた方がいい。それでもし生徒が文学的の傾向があるなら、それにはラテン、グリーキも十分にやらせて、その代り性に合わない学科でいじめるのは止した方がいい……」 これは・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・豪華な昔しの面影を止めた古いこの土地の伝統的な声曲をも聞いた。ちょっと見には美しい女たちの服装などにも目をつけた。 この海岸も、煤煙の都が必然展けてゆかなければならぬ郊外の住宅地もしくは別荘地の一つであった。北方の大阪から神戸兵庫を経て・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・津田と二人で、それを止めて外へでると、小野はこんどは三吉にくってかかる。――な、青井さ、きみァボルな? え、何故だまっとるな?――。それからとつぜん、三吉の腕にもたれてシクシク泣きだす――。ハーイ、わしがおふくろは専売局の便所掃除でござりま・・・ 徳永直 「白い道」
・・・足痕をつけて行きゃア、篠田の森ア、直ぐと突止めまさあ。去年中から、へーえ、お庭の崖に居たんでげすか。」 清五郎の云う通り、足痕は庭から崖を下り、松の根元で消えて居る事を発見した。父を初め、一同、「しめた」と覚えず勝利の声を上げる。田崎と・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫