・・・ まだ外に書きたい問題もあるが、菊池の芸術に関しては、帝国文学の正月号へ短い評論を書く筈だから、こゝではその方に譲って書かない事にした。序ながら菊池が新思潮の同人の中では最も善い父で且夫たる事をつけ加えて置く。・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・ 後談 寛文十一年の正月、雲州松江祥光院の墓所には、四基の石塔が建てられた。施主は緊く秘したと見えて、誰も知っているものはなかった。が、その石塔が建った時、二人の僧形が紅梅の枝を提げて、朝早く祥光院の門をくぐった。・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
私が改造の正月号に「宣言一つ」を書いてから、諸家が盛んにあの問題について論議した。それはおそらくあの問題が論議せらるべく空中に漂っていたのだろう。そして私の短文がわずかにその口火をなしたのにすぎない。それゆえ始めの間の論駁・・・ 有島武郎 「想片」
・・・ 正月早々悲劇の絶頂が到来した。お前たちの母上は自分の病気の真相を明かされねばならぬ羽目になった。そのむずかしい役目を勤めてくれた医師が帰って後の、お前たちの母上の顔を見た私の記憶は一生涯私を駆り立てるだろう。真蒼な清々しい顔をして枕に・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 父が存生の頃は、毎年、正月の元日には雪の中を草鞋穿でそこに詣ずるのに供をした。参詣が果てると雑煮を祝って、すぐにお正月が来るのであったが、これはいつまでも大晦日で、餅どころか、袂に、煎餅も、榧の実もない。 一寺に北辰妙見宮のましま・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 可いや、可いやお前になってみりゃ、盆も正月も一斉じゃ、無理はねえ。 それでは御免蒙って、私は一膳遣附けるぜ。鍋の底はじりじりいう、昨夜から気を揉んで酒の虫は揉殺したが、矢鱈無性に腹が空いた。」と立ったり、居たり、歩行いたり、果は胡坐か・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・僕は学校へ行ったて千葉だもの、盆正月の外にも来ようと思えば土曜の晩かけて日曜に来られるさ……」「ほんとに済みません。泣面などして。あの常さんて男、何といういやな人でしょう」 民子は襷掛け僕はシャツに肩を脱いで一心に採って三時間ばかり・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・俄かに家内の様子が変る、祭りと正月が一度に来たようであった。 十三 薊が一切を呑み込んで話は無造作にまとまる。二人を結婚さしておいて、省作を東京へやってもよいが、どうせ一緒にいないのだから、清六の前も遠慮して、家を・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・私なぞの考えで見ると、何も家をお持ちなさるからって、暮に遣う煤掃きの煤取りから、正月飾る鏡餅のお三方まで一度に買い調えなきゃならないというものじゃなし、お竈を据えて、長火鉢を置いて、一軒のお住居をなさるにむつかしいことも何もないと思いますが・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ と、直ぐに言い返して、あとは入りみだれて、「おのれは、正月の餠がのどにつまって、三カ日に葬礼を出しよるわい」「おのれは、一つ目小僧に逢うて、腰を抜かし、手に草鞋をはいて歩くがええわい」「おのれこそ、婚礼の晩にテンカンを起し・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
出典:青空文庫