・・・紋を染めた古帷子に何か黒い帯をしめた、武家の女房らしい女である。これはまだ三十代であろう。が、ちょいと見たところは年よりはずっとふけて見える。第一妙に顔色が悪い。目のまわりも黒い暈をとっている。しかし大体の目鼻だちは美しいと言っても差支えな・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・むかし、正しい武家の女性たちは、拷問の笞、火水の責にも、断じて口を開かない時、ただ、衣を褫う、肌着を剥ぐ、裸体にするというとともに、直ちに罪に落ちたというんだ。――そこへ掛けると……」 辻町は、かくも心弱い人のために、西班牙セビイラの煙・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・随って商売上武家と交渉するには多才多芸な椿岳の斡旋を必要としたので、八面玲瓏の椿岳の才機は伊藤を助けて算盤玉以上に伊藤を儲けさしたのである。 伊藤八兵衛の成功は幕末に頂巓に達し、江戸一の大富限者として第一に指を折られた。元治年中、水戸の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・お母さんも同じ藩の武家生れだったが、やはり江戸で育って江戸風に仕込まれた。両親共に三味線が好きで、殊にお母さんは常磐津が上手で、若い時には晩酌の微酔にお母さんの絃でお父さんが一とくさり語るというような家庭だったそうだ。江戸の御家人にはこうい・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・しかし、現在書かれている肉体描写の文学は、西鶴の好色物が武家、僧侶、貴族階級の中世思想に反抗して興った新しい町人階級の人間讃歌であった如く、封建思想が道学者的偏見を有力な味方として人間にかぶせていた偽善のヴェールをひきさく反抗のメスの文学で・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・愛宕山は七高山の一として修験の大修行場で、本尊は雷神にせよ素盞嗚尊にせよ破旡神にせよ、いずれも暴い神で、この頃は既に勝軍地蔵を本宮とし、奥の院は太郎坊、天狗様の拠所であった。武家の尊崇によって愛宕は最も盛大な時であったろうが、こういう訳で生・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・「それは心配ないだろう。武家の娘は、かえって男を敬うものだ。」先生は、真面目である。「それよりも、どうだろう。大隅の頭はだいぶ禿げ上っていたようだが。」やっぱり、その事が先生にとっても、まず第一に気がかりになる様子であった。まことに、海・・・ 太宰治 「佳日」
・・・私を見て、おう、いい奥さんだ、お武家そだちらしいぞ、と冗談をおっしゃったら、あなたは真面目に、はあ、これの母が士族でして、などといかにも誇らしげに申しますので、私は冷汗を流しました。母が、なんで士族なものですか。父も、母も、ねっからの平民で・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・それから引続いて『五人女』『一代女』『一代男』次に『武道伝来記』『武家義理物語』『置土産』という順序で、ごくざっと一と通りは読んでしまった。読んで行くうちに自分の一番強く感じたことは、西鶴が物事を見る眼にはどこか科学者の自然を見る眼と共通な・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・維新前は五千石を領した旗本大久保豊後守の屋敷があった処で、六間堀に面した東裏には明治の末頃にも崩れかかった武家長屋がそのまま残っていた。またその辺から堀向の林町三丁目の方へ架っていた小橋を大久保橋と称えていた。 これらの事はその頃A氏の・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫