・・・ 私は詩碑の背面に刻みこまれている加藤武雄氏の碑文を見直した。それは昭和十一年建てられた当時、墨の色もはっきりと読取られたものであるが、軟かい石の性質のためか僅か五年の間に墨は風雨に洗い落され、碑石は風化して左肩からはすかいに亀裂がいり・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・吉江喬松、中村星湖、加藤武雄、犬田卯等がそれまでの都市文学に反抗していわゆる農民文学を標ぼうした農民文学会をおこした。月々例会を持った。会員は恐らく二三十人もいたであろう。しかし、そこから農民を扱って文学的に実を結んだのは佐左木俊郎一人きり・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・「木村武雄、木村武雄。」と私は、小声で佐伯に教えた。太宰というのは、謂わばペンネエムであって、私の生まれた時からの名は、その木村武雄なのである。なんとも、この名前が恥ずかしく、私は痩せている癖に太宰なぞという喧嘩の強そうな名前を選んで用・・・ 太宰治 「乞食学生」
九州の武雄温泉で迎えた明治三十年の正月と南欧のナポリで遭った明治四十三年の正月とこの二つの旅中の正月の記憶がどういう訳か私の頭の中で不思議な聯想の糸につながれて仕舞い込まれている。一方を思い出すと必ず他方がくっついて一緒に・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・――このうすよごれた町からほとんど出たことのない三吉は、東京を知らないけれど、それまでの東京からはまだ大学生の田門武雄や、卒業して間がない三輪寿蔵や、赤松克馬や新人会本部の連中がやってきた。彼らはサンジカリズムないしアナルコサンジカリズムの・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 真個の女の人が扮しているのだから、洋服でも、河合武雄の着る洋服ではない型と味いとを見たい。 斯様な印象の後に来たので、「邯鄲」は、随分、お伽噺的な愛らしさで、目に写った。巧くこなしたものだと思う。色彩の調和が、気の利いた「犬」の舞・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・同人としては中村武羅夫、岡田三郎、加藤武雄、浅原六朗、龍胆寺雄、楢崎勤、久野豊彦、舟橋聖一、嘉村礒多、井伏鱒二、阿部知二、尾崎士郎、池谷信三郎等の人々であった。中村武羅夫の論文がこの運動をまとめるきっかけとなったことは興味がある。自然主義の・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫