・・・どこもかしこも歳暮売出しの飾りで賑やかです。色彩は、はでであるが、何か通行人の影は黒い、今夜はクリスマス・イーヴなのだけれども、学生の街である神田でさえ、そのような楽しげな雰囲気はなく、うちへかえって夕刊を見て、ああ本当にと思ったほどです。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ どっかから、お歳暮に福寿草と、雪割草の盆景をもって来た。 生れて始めて雪割草を見た。 大変可愛らしい花だ。 弟の「羽根たたき」の、のどやかな音に耳をかたむけながら雑誌の表紙を、やたらに新らしい絵は何だか私に分らないと思って・・・ 宮本百合子 「午後」
・・・私は彼の鬼のように大きくそうしてかたい手をにがさないようにしっかりつかまえて又あるき出した。彼は今度はじゆうにあるけないからだまって私のあとをついて来る。私は歳暮大売出しと大きな門をつくった内の三省堂に本をかいによった。私はしかたがなくて彼・・・ 宮本百合子 「心配」
・・・ 町へ雑誌と、書く紙を買いに行こうと思いながら、寒さにめげて一日一日とのばして居たが、歳暮売出しを町の店々は始め、少しは目先が変って居るからと云う事で、芝居ずきの「御ともさん」とお繁婆と女中とで午前の日が上りきって、暖い時に出かけた。・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・所が、もう年が押し詰まって十二月二十八日となって、きのうの大雪の跡の道を、江戸城へ往反する、歳暮拝賀の大小名諸役人織るが如き最中に、宮重の隠居所にいる婆あさんが、今お城から下がったばかりの、邸の主人松平左七郎に広間へ呼び出されて、将軍徳川家・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・ 大野は昏くなったランプの心を捩じ上げて、その手紙の封を開いた。行儀の好いお家流の細字を見れば、あの角縁の目金を掛けたお祖母あさんの顔を見るようである。 歳暮もおひおひ近く相成候へば、御上京なされ候日の、指折る程に相成候を楽み居り候・・・ 森鴎外 「独身」
・・・ お佐代さんは四十五のときにやや重い病気をして直ったが、五十の歳暮からまた床について、五十一になった年の正月四日に亡くなった。夫仲平が六十四になった年である。あとには男子に、短い運命を持った棟蔵と謙助との二人、女子に、秋元家の用人の・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・ある時弟子の家の者が歳暮の餅を持ってがらりと玄関の戸を開けて這入って来た時、伯母は、ちょうどそこの縁側を裸体で拭いていた。私ははらはらしてどうするかと見ていると、「これはまア、とんだ失礼をいたしまして、」 と、伯母は、ただ一寸雑巾で・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・ 一つの私事歳暮余日も無之御多忙の程察上候。貴家御一同御無事に候哉御尋申候。却説去廿七日の出来事は実に驚愕恐懼の至に不堪、就ては甚だ狂気浸みたる話に候へ共、年明候へば上京致し心許りの警衛仕度思ひ立ち候が、汝、困る様之・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫