・・・そこでは華ばなしいクリスマスや歳末の売出しがはじまっていた。 友達か恋人か家族か、舗道の人はそのほとんどが連れを携えていた。連れのない人間の顔は友達に出会う当てを持っていた。そしてほんとうに連れがなくとも金と健康を持っている人に、この物・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・昭和五年の歳末の事である。兄たちは、死にぞこないの弟に優しくしてくれた。 長兄はHを、芸妓の職から解放し、その翌るとしの二月に、私の手許に送って寄こした。言約を潔癖に守る兄である。Hはのんきな顔をしてやって来た。五反田の、島津公分譲地の・・・ 太宰治 「東京八景」
祖母は文化十二年生まれで明治二十二年自分が十二歳の歳末に病没した。この祖母の「思い出の画像」の数々のうちで、いちばん自分に親しみとなつかしみを感じさせるのは、昔のわが家のすすけた茶の間で、糸車を回している袖なし羽織を着た老・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ ある家庭で歳末に令嬢二人母君から輪飾りに裏白とゆずり葉と御幣を結び付ける仕事を命ぜられて珍しく神妙にめったにはしない「うちの用」をしていた。裏白やゆずり葉を輪の表に縛り付けるか裏につけるかを議論していた。そのうちに妹の方が「こんなもの・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 広小路の松坂屋へはいって見ると歳末日曜の人出で言葉通り身動きの出来ない混雑である。メリヤスや靴下を並べた台の前には人間の垣根が出来てその垣根から大小色々な無数の手が出てうごめきながら商品をつまぐり引っぱり揉みくたにしている。どの手の持・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・そして私の失意や希望や意志とは全く無関係に歳末と正月が近づきやがて過ぎ去った。そうして私は世俗で云う厄年の境界線から外へ踏み出した事になったのである。 日本では昔から四十歳になると、すぐに老人の仲間には入れられないまでも、少なくも老人の・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・そして、忙しくて乏しい歳末の喧騒にまぎれて、この事件は忘れられ、今日、私たちは、その事件のおこった当日と大して変りない暴力的交通状態の下に暮しているのである。 新聞記事の出た前後、検事局の態度にあきたりない投書が、どっさりあった。この一・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
一 年の瀬という表現を十二月という歳末の感情に結びつけて感じると、今年は年の瀬を越すなどというものではなく、年の瀬が恐ろしくひろい幅とひどい勢いでどうどうと生活もろとも轟き流れている気がする。一年・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・その団欒の裡から、あの、真に物を遣れる者を持つ悦ばしさ、共に歓ぶ嬉しさを味う歳末の夜から、自分がのけられ、小さい唯三人限りの家で、ひっそりと笑いもせずに其晩を送るのかと思うと、何とも云えない心持がした。 林町へ行くことが出来なければ、兎・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
出典:青空文庫