・・・ 五月三日におめにかかってかえりましたら、午後四時すぎに倉知の叔父が六十九歳で死去いたしました。私はいそがしいので儀式だけですまそうとしたが、親身なため心持もすまず三日ばかりすっかりそのために時をつぶしました。緑郎が一番可哀想です。咲枝・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・同年十二月死去の公報によって葬儀を営んだ。十月十日に網走刑務所から解放されて十二年ぶりで東京にかえった顕治と百合子が式に列した。[自注12]国男夫婦――百合子の弟夫婦。[自注13]林町の母――百合子の実母。葭江。一八七六年―一九三四・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 当時の中央委員たちによって、スパイとして調べられていた小畑達夫が特異体質のため突然死去したことは、警視庁に全く好都合のデマゴギーの種となった。共産党員は、永い抑圧の歴史の中で沢山の誹謗に耐えて来たのであったが、この事件に関係のあった当・・・ 宮本百合子 「信義について」
・・・ 逆に読みなおしたら、千鶴子の母の死去通知であった。東京に出て僅か二月になるかならぬで死なれた。――はる子は千鶴子を何と不運な人かと思った。彼女の不幸は内と外とからたたまって来るようだ。死んだ母という人も余り仕合わせそうでなく、気の毒に・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・文句は、深田様がお産で去月何日死去されましたから、御悔みのしるしに何か皆で買ってあげたい、一円以上三円位まで御送り下さい、というのである。 広い耕地を見晴す縁側の柱の下に坐り、自分は、幾度も、幾度も繰返して文面を見た。第一、なくなられた・・・ 宮本百合子 「追想」
・・・肺壊疽をわずらって順天堂病院に入院していた母は、私が病院にかけつけて十五分ののちに死去した。私は半年の留置場生活で健康を害して、心臓衰弱に苦しんだ。この年はプロレタリア芸術家の転向の問題が注目をひいた。村山知義の「白夜」その他、運動と個性の・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 僅か十四五の時、両親には前後して死去され、漸々結婚が未来の希望を輝せ始めると、思いもかけず長年の婚約者との間に、家族的な障碍が横えられました。 両親の死後、彼女の新たな保護者となった長兄は生憎、許婚者の父とは政敵の関係にあって、そ・・・ 宮本百合子 「ひしがれた女性と語る」
・・・と特記されているのであるが、秋に「父が死去したので、入学を取消し、家事の後始末をするため、荷物を背負って商いをやる。」一九〇八年。「家事整理の傍ら、受験勉強をなし、再び高等学校の入学試験に応ず。学科試験には優良の成績で及第したが、体格検査の・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・同年九月二日には父弥五右衛門景一死去いたし候。次いで正保二年三斎公も御卒去遊ばされ候。これより先き寛永十三年には、同じ香木の本末を分けて珍重なされ候仙台中納言殿さえ、少林城において御薨去なされ候。かの末木の香は「世の中の憂きを身に積む柴舟や・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫