・・・この哀れな私の同胞に対して、今まで此室に入って来た者共が、どんな残忍なことをしたか、どんな陋劣な恥ずべき行をしたか、それを聞こうとした。そしてそれ等の振舞が呪わるべきであることを語って、私は自分の善良なる性質を示して彼女に誇りたかった。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・その形小さく力無い鳥の家に参るというのじゃが、参るというてもただ訪ねて参るでもなければ、遊びに参るでもないじゃ、内に深く残忍の想を潜め、外又恐るべく悲しむべき夜叉相を浮べ、密やかに忍んで参ると斯う云うことじゃ。このご説法のころは、われらの心・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・五種浄肉となづけてあまり残忍なる行為によらずして得たる動物の肉はこれを食することを許したのである。今日のビジテリアンは実に印度の古の聖者たちよりも食物のある点に就て厳格である。されどこれ畢竟不具である畸形である、食物のみ厳格なるも釈迦の制定・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ベルリンに、日本に、売笑のあらゆる形態が生れ出ていることは、ファシズムの残忍非道な生活破壊の干潟の光景である。独善的に民族の優越性や民族文化を誇張したファシズム治下の国々が、ほかならぬその母胎である女性の性を、売淫にさらしていることはわたし・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・また再び詳しく話し返すに堪えない残忍な話である。今日、食糧事情はそこまで逼迫しているという人もあろうが、難破して漂流している孤舟の中に生じた事件と仮定してさえも、私ども正常の人間性はその残酷さを許し得ないのである。ましてやこの事件は、単純き・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・食糧事情に絡んで、或る場所では、人々をおどろかした残忍な暴力がふるわれた。そして、それは、日本兵の悪虐として語られた。だが、彼等が、食うものがないからと云って、子供に対して非人間的な残虐に立ち到った、その心理の根底には、単なる飢えにたけりた・・・ 宮本百合子 「逆立ちの公・私」
・・・イカルスを死なせ、プロメシウスをさいなむような残忍さで、主人の怒りは才能と勇気のありすぎる不運な奴隷の頭上におちかかるだろう。身のほどを忘れるな。ギリシア神話における自由の矛盾のかげには、このような奴隷制の上にきずかれた自由市民の自由そのも・・・ 宮本百合子 「なぜ、それはそうであったか」
・・・ナポレオンの腕は彼女の首に絡まりついた。彼女の髪は金色の渦を巻いてきらきらと慄えていた。ナポレオンの残忍性はルイザが藻掻けば藻掻くほど怒りと共に昂進した。彼は片手に彼女の頭髪を繩のように巻きつけた。――逃げよ。余はコルシカの平民の息子である・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・そして、安次を最も残忍な方法で放逐して了ったならば、彼は秋三の嘲笑を一瞬にして見返すことが出来るように思われた。七 安次は股引の紐を結びながら裏口へ出て来ると、水溜の傍の台石に腰を下ろした。彼は遠い物音を聞くように少し首を延・・・ 横光利一 「南北」
・・・時には残忍とか狡猾とか盗心とかいうものに対してまでも滋養を与えなくてはならないかも知れません。で、青春の時期に最も努むべきことは、日常生活に自然に存在しているのでないいろいろな刺激を自分に与えて、内に萌えいでた精神的な芽を培養しなくてはなら・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫