・・・枕は脂染みた木枕で、気味も悪く頭も痛い。私は持合せの手拭を巻いて支った。布団は垢で湿々して、何ともいえない臭がする。が、それはまだ我慢もできるとして、どうにもこうにも我慢のできないのは、少し寝床の中が暖まるとともに、蚤だか虱だか、ザワザワザ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ すると、女の唇が不気味にふるえた。そして大粒の泪が蒼黝い皮膚を汚して落ちて来た。ほんとうに泣き出してしまったのだ。 私は頗る閉口した。どういう風に慰めるべきか、ほとほと思案に余った。 女は袂から器用に手巾をとりだして、そしてま・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・私は腑甲斐ない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑を感じていた。 樫鳥が何度も身近から飛び出して私を愕ろかした。道は小暗い谿襞を廻って、どこまで行っても展望がひらけなかった。このままで日が暮れてしまってはと・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・いい気味! と光代は奪上げ放しに枕の栓を抜き捨て、諸手に早くも半ば押し潰しぬ。 よんどころなく善平は起き直りて、それでは仲直りに茶を点れようか。あの持って来た干菓子を出してくれ。と言えば、知りませぬ。と光代はまだ余波を残して、私はお湯に・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ この老人がその小さな丸い目を杉の杜の薄暗い陰でビカビカ輝らせて、黙って立っているのを見るとだれも薄気味の悪い老翁だと思う、それが老翁ばかりでなく「杉の杜」というのが、岩――の士族屋敷ではこの「ひげ」の生まれない前のもっと前からすでに気・・・ 国木田独歩 「河霧」
一 ぽか/\暖かくなりかけた五月の山は、無気味で油断がならない。蛇が日向ぼっこをしたり、蜥蜴やヤモリがふいにとび出して来る。 僕は、動物のうちで爬虫類が一番きらいだ。 人間が蛇を嫌うのは、大昔に、まだ人間とならない時代の・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・りとは誰にも見せぬふさふさとした頤鬚上髭頬髯を無遠慮に生やしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚にまださほどは居ぬ蚊を吾家から提げた大きな雅な団扇で緩く払いながら、逼らぬ気味合で眼のまわりに皺を湛えつつも、何か・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・奥様が犬を連れていて、その犬がまた気味の悪い奴よのい。誰の部屋へでも這入り込んで行く。この部屋まで這入って来る。何か食べる物でも置いてやらないと、そこいら中あの犬が狩りからかす」 と言いかけて、おげんは弟の土産の菓子を二つ三つ紙の上に載・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・と言って、人に威張ったという話をきき、すっかり気味をわるくしてその理髪人を死刑にしてしまいました。そして、それからというものは、もう理髪人をかかえないで、自分の娘たちに顔を剃らせました。しかし後には、自分の子が髪剃を持ってあたるのさえも不安・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・いかにも気味がよくありません。 するうちにその霧の中から、ねじ曲がった二本の角のある頭が出て、それがほえると、続いてたくさんの頭が現われ出て、だんだん近づいて来ました。「こわうござんす、ママ、ほんとうにこわい」 と子どもが申しま・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
出典:青空文庫