五月が来た。測候所の技手なぞをして居るものは誰しも同じ思であろうが、殊に自分はこの五月を堪えがたく思う。其日々々の勤務――気圧を調べるとか、風力を計るとか、雲形を観察するとか、または東京の気象台へ宛てて報告を作るとか、そんな仕事に追わ・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・及び「海洋気象台」がある。ガードやガソリンスタンドなども両方にある。それだのに、洋画の方には鎧武者や平安朝風景がない。これも不思議である。 帝展には少ないが二科会などには「胃病患者の夢」を模様化したようなヒアガル系統の絵がある。あれはむ・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・の一端を行なっており、疫病流行に関しては伝染病研究所や衛生試験所やその他いろいろの施設があり、風水旱害に関しても気象台や関係諸機関が存在しているようである。これらの政府の諸機関は、少なくもその究極の目的においては、昔の祭官や巫術者のそれと共・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・八月二十九日 曇、午後雷雨 午前気象台で藤原君の渦や雲の写真を見る。八月三十日 晴 妻と志村の家へ行きスケッチ板一枚描く。九月一日 朝はしけ模様で時々暴雨が襲って来た。非常な強度で降っていると思うと、ま・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ こういう見地から見て現在一番信頼の出来る施設は中央気象台とその配下にある海洋気象台のそれである。そこにはともかくも一般政治から独立した恒久的観測研究の系統が永い以前から確定されており、その上に当代の有名な学者の数々を聚めているのである・・・ 寺田寅彦 「新春偶語」
・・・ワシントンからマウント・ウェザーの気象台へ見学に出かけた田舎廻りのがたがた汽車はアメリカとは思われない旧式の煤けた小さな客車であったが、その客車が二つの仕切りに区分されていて、広い方の入口には「ホワイト」、狭い方には「カラード」という表札が・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・北米合衆国の気象台で定めたスリートというものの定義が大体この凍雨に相当している。スリートとして挙げられているものの中には、以上のようなものの外に雪片のつながったのが一度溶けかけてまた凍った事を明示するようなものや、氷球の一方から雪の結晶が角・・・ 寺田寅彦 「凍雨と雨氷」
・・・華府を根拠にしてマウント・ウェザーの気象台などを見物して、帰ってくると非常な暑さで道路のアスファルトは飴のようになり、馬が何頭倒れたといううわさである。その暑さに冬服を着て各所を歴訪した。夜寝ようとするとベッドが焼けつくようで眠られない。心・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・地震に関しては大学地震研究所をはじめ中央気象台の一部にもその研究をつかさどるところがある。暴風や雷雨に対しては中央気象台に研究予報の機関が完備している。これらの設備の中にはいずれも最高の科学の精鋭を集めた基礎的研究機関を具備しているのである・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ ベルリン着早々、中村気象台長からの紹介状をもってヘルマン教授を尋ね聴講科目などの指導を仰いだ。結局第一学期には、プランクの「物理学の全系統」ヘルマンの「気象器械の理論と用法」並びに「気象輪講」ルーベンスの「物理輪講」アドルフ・シュミッ・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
出典:青空文庫