・・・これまで人一倍、がんばって勉強して、それからテニスも、水泳もお上手だったのだもの、いまの寂しさ、苦しさはどんなだろう。ゆうべも新ちゃんのことを思って、床にはいってから五分間、目をつぶってみた。床にはいって目をつぶっているのでさえ、五分間は長・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・女は天性、その肉体の脂肪に依り、よく浮いて、水泳にたくみの物であるという。 教訓。「女性は、たしなみを忘れてはならぬ。」 太宰治 「女人訓戒」
・・・という水泳の伝書を読んでいたら、櫓業岩飛中返などに関する条項の中に「兼ねて飛びに自在を得る時は水ぎわまでの間にて充分敵を仕留めらるるものなり」とか、「船軍の節敵を組み落とし、水ぎわまでの間にて仕留めるという教えはよほど飛びに自在を得ざれば勝・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・そうした例としては『諸国咄』中の水泳の達人の話、蚤虱の曲芸の話、また「力なしの大仏」の色々の条項を挙げることが出来る。『桜陰比事』の「四つ五器かさねての御意」などもそうした例であると同時に、西鶴の実証主義を暗示するものと見られる。 彼の・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ 小さい時分にはおどされるだけでほんとうにすえられたことはなかったようである。水泳などに行って友だちや先輩の背中に妙な斑紋が規則正しく並んでいて、どうかするとその内の一つ二つの瘡蓋がはがれて大きな穴が明き、中から血膿が顔を出しているのを・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 自分が水泳を習い覚えたのは神伝流の稽古場である。神伝流の稽古場は毎年本所御舟蔵の岸に近い浮洲の上に建てられる。浮洲には一面蘆が茂っていて汐の引いた時には雨の日なぞにも本所辺の貧い女たちが蜆を取りに出て来たものであるが今では石垣を築いた・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・夏になると、水泳場また貸ボート屋が建てられる処もあるが、しかしそれは橋のかかっているあたりに限られ、橋に遠い堤防には祭日の午後といえども、滅多に散歩の人影なく、唯名も知れぬ野禽の声を聞くばかりである。 堤防は四ツ木の辺から下流になると、・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・朝から水泳ぎもできたし林の中で鷹にも負けないくらい高く叫んだりまた兄さんの草刈りについて行ったりした。それはほんとうにいいことです。けれどももう休みは終りました。これからは秋です。むかしから秋は一番勉強のできる時だといってあるのです。ですか・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・機械工体育部水泳選手のドミトリーが、今度は対手だ。本ものだ! 本もののソヴェトのプロレタリアの祝の踊りである。 ニーナは、ほれぼれするような二人の踊りっぷりを見ているうちに、我知らず自分もまだ春の遠い三月の雪の上で楽しい婦人デーの足拍子・・・ 宮本百合子 「ソヴェト同盟の三月八日」
・・・になると、体育室、水泳プール、大きな演劇の舞台、軍事教育、ラジオ、ピンポン、衛生室、図書室、外国語の研究室、食堂などまである。 共同農場でも同じ様で、大きなものになると、収穫時にはキャンプ生活をやるのだが、その一つのキャンプが「クラブ」・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの「労働者クラブ」」
出典:青空文庫