・・・谷川は勿論峯々の間に白い水煙をなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。 この赤児を孕んだ実は深い山の奥を離れた後、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆さんが一人、日本中の子供の知っ・・・ 芥川竜之介 「桃太郎」
・・・それが一度鍵の手に群る雲を引っ裂いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲き起したようでございましたが、恵印の眼にはその刹那、その水煙と雲との間に、金色の爪を閃かせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧として映りました。が、それは瞬く暇・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・庭一面に漲り込んだ水上に水煙を立てて、雨は篠を突いているのである。庭の飛石は一箇も見えてるのが無いくらいの水だ。いま五、六寸で床に達する高さである。 もう畳を上げた方がよいでしょう、と妻や大きい子供らは騒ぐ。牛舎へも水が入りましたと若い・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・太い雨が竿に中る、水面は水煙を立てて雨が跳ねる、見あげると雨の足が山の絶頂から白い糸のように長く条白を立てて落ちるのです。衣服はびしょぬれになる、これは大変だと思う矢先に、グイグイと強く糸を引く、上げると尺にも近い山の紫と紅の条のあるのが釣・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・蕪村集中にその例を求むれば鶯の鳴くや小き口あけてあぢきなや椿落ち埋む庭たつみ痩臑の毛に微風あり衣がへ月に対す君に投網の水煙夏川をこす嬉しさよ手に草履鮎くれてよらで過ぎ行く夜半の門夕風や水青鷺の脛を打つ点滴・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・貝殻でこしらえた外套を着て水煙草を片手に持って立っているのでした。「おじさん。もう飢饉は過ぎたの。手伝いって何を手伝うの。」「昆布取りさ。」「ここで昆布がとれるの。」「取れるとも。見ろ。折角やってるじゃないか。」 なるほ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・精女は水煙をたてて川に飛び込む。小さな泡が二つ葦の根にうく。ペーン オオオ、シリンクス、お前は!しぼる様な細い声で云う。まわりの葦にひびいて夢の歎きの様な好い音を出す。ペーンはそれをジッとききながら、ペーン ・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・サッとたつ水煙。 さわやかな河風に労働者の群像が捧げている数条の赤旗は、小高い丘の上でいきいきとひるがえった。〔一九三一年五月〕 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・ チラチラと眩ゆい点描きの風景、魚族のように真黒々な肌一杯に夏を吸いながら、ドブンと飛び込む黒坊――躍る水煙、巨大な黒坊、笑う黒坊、蛙のような黒坊。 卿はどうして其那に水が好きなのか。 如何うして其那に笑うのだろう、卿等は―・・・ 宮本百合子 「一粒の粟」
出典:青空文庫