・・・これを過ぐれば左に鳰の海蒼くして漣水色縮緬を延べたらんごとく、遠山模糊として水の果ても見えず。左に近く大津の町つらなりて、三井寺木立に見えかくれす。唐崎はあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ堅田も石山も粟津もすべて判らず。九つの歳父母に・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・揃いの水色の衣装に粗製の奴かつらを冠った伴奴の連中が車座にあぐらをかいてしきりに折詰をあさっている。巻煙草を吹かしているのもあれば、かつらを気にして何遍も抜いたり冠ったりしているのもある。 熱海行のバスが出るというので乗ってみることにし・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・彩霞波ヲ掩ヒ不忍ノ湖ハ頓ニ水色ヲ変ズ。都人士女堵ヲ傾ケ袂ヲ連ネ黄塵一簇雲集群遊ス。車馬旁午シ綺羅絡繹タリ。数騎銜ヲ駢ベ鞍上ニ相話シテ行ク者ハ洋客ナリ。龍蹄砂ヲ蹴ツテ高蓋四輪、輾リ去ル者ハ華族ナリ。女児一群、紅紫隊ヲ成ス者ハ歌舞教師ノ女弟子ヲ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・山の上では薄明穹の頂が水色に光った。俄かに斉田が立ちどまった。道の左側が細い谷になっていてその下で誰かが屈んで何かしていた。見るとそこはきれいな泉になっていて粘板岩の裂け目から水があくまで溢れていた。(一寸おたずねいたしますが、この辺に・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・それはまるで赤や緑や青や様々の火がはげしく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、またいなずまがひらめいたり、光の血が流れたり、そうかと思うと水色の焔が玉の全体をパッと占領して、今度はひなげしの花や、黄色のチュウリップ、薔薇やほたる・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・ 雲はうす黒く、ただ西の山のうえだけ濁った水色の天の淵がのぞいて底光りしています。そこで烏仲間でマシリイと呼ぶ銀の一つ星がひらめきはじめました。 烏の大尉は、矢のようにさいかちの枝に下りました。その枝に、さっきからじっと停って、もの・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・ 灰色を帯びた柔かい水色の空。旧市街はその下に午後のうっすり寒い光を照りかえしている。足場。盛に積まれつつある煉瓦。 十月二十八日。 水色やかんを下げてYが、ヒョイヒョイとぶような足つきで駅の熱湯供給所へ行く後姿を、自分は列・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 私共は、彼の為にみかん箱の寝所を拵え、フランネルのくすんだ水色で背被いも作ってやった。 彼は、今玄関の隅で眠り、時々太い滑稽な鼾を立てて居る。 女中が犬ぎらいなので少し私共は気がねだ。又、子のない夫婦らしい偏愛を示すかと、自ら・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・ 閑散な日の光をあびて、劇場広場の角に大きな水色の横旗がさがっている。そこに日本語で、万国の労働者団結せよ!と書いてあるのが、今日は遠くからはっきり見える。 昨日踵の低い靴をはいて数露里・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・さてイイダ姫の舞うさまいかにと、芝居にて贔屓の俳優みるここちしてうち護りたるに、胸にそうびの自然花を梢のままに着けたるほかに、飾りというべきもの一つもあらぬ水色ぎぬの裳裾、せまき間をくぐりながらたわまぬ輪を画きて、金剛石の露こぼるるあだし貴・・・ 森鴎外 「文づかい」
出典:青空文庫