・・・おりから伏見には伊勢のお札がどこからともなく舞い降って、ええじゃないか、ええじゃないか、淀川の水に流せばええじゃないかと人々の浮かれた声が戸外を白く走る風とともに聴えて、登勢は淀の水車のようにくりかえす自分の不幸を噛みしめた。 ところが・・・ 織田作之助 「螢」
・・・その麓に水車が光っているばかりで、眼に見えて動くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡っている野山には静かな懶さばかりが感じられた。そして雲はなにかそうした安逸の非運を悲しんでいるかのように思われるのだった。 私は眼を溪の方の眺めへ移し・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・そして先ず自分の思いついた画題は水車、この水車はその以前鉛筆で書いたことがあるので、チョークの手始めに今一度これを写生してやろうと、堤を辿って上流の方へと、足を向けた。 水車は川向にあってその古めかしい処、木立の繁みに半ば被われている案・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 先生の中二階からはその屋根が少しばかりしか見えないが音はよく聞こえる水車、そこに幸ちゃんという息子がある、これも先生の厄介になッた一人で、卒業してから先生の宅へ夜分外史を習いに来たが今はよして水車の方を働いている、もっとも水車といって・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ 庭を貫く流れは門の前を通ずる路を横ぎりて直ちに林に入り、林を出ずれば土地にわかにくぼみて一軒の茅屋その屋根のみを現わし水車めぐれり、この辺りには水車場多し、されどこはいと小さき者の一つなり、水車場を離れて孫屋立ち、一抱えばかりの樫七株・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ この高瀬が僅かばかりの野菜を植え試みようとした畠からは、耕地つづきに商家の白壁などを望み、一方の浅い谷の方には水車小屋の屋根も見えた。細い流で近所の鳴らす鍋の音が町裏らしく聞えて来るところだ。激しく男女の労働する火山の裾の地方に、高瀬・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・提燈をもって、三百いくつの石の段々を、ひい、ふう、みい、と小声でかぞえながら降りていって、谷間の底の野天風呂にたどりつき、提燈を下に置いたら、すぐ傍を滔々と流れている谷川の白いうねりが見えて、古い水車がぼっと鼻のさきに浮んだ。疲れていた。ひ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・酒の名は、水車と呼ばれた。子供が十四人あった。男の子が六人。女の子が八人。長男は世事に鈍く、したがって逸平の指図どおりに商売を第一として生きていた。おのれの思想に自信がなく、それでもときどきは父親にむかって何か意見を言いだすことがあったけれ・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・第五十一段の水車の失敗は先日の駆逐艦進水式の出来損ねを思い出させる。 知識とは少しちがう「智恵」については第三十八段に「智恵出でては偽あり」とか「学びてしるは、まことの智にあらず」などと云っているのは現代人にも思い当たるふしがあるであろ・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・村の貯水池や共同水車小屋が破壊されれば多数の村民は同時にその損害の余響を受けるであろう。 二十世紀の現代では日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されている・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
出典:青空文庫