・・・僕は先生の部屋でいつの間にか泣寝入りをしていたと見えます。少し痩せて身長の高い先生は笑顔を見せて僕を見おろしていられました。僕は眠ったために気分がよくなって今まであったことは忘れてしまって、少し恥しそうに笑いかえしながら、慌てて膝の上から辷・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・妹が聟養子をとるとあれば、こちらは廃嫡と相場は決っているが、それで泣寝入りしろとは余りの仕打やと、梅田の家へ駆け込むなり、毎日膝詰の談判をやったところ、一向に効目がない。妻を捨て、子も捨てて好きな女と一緒に暮している身に勝目はないが、廃嫡は・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・アメリカ兵は、やっつけられて泣き寝入りに怺えるロシア人や支那人のような奴ではない。それを知っていた。で、そのまゝ何気なく帰ろうとして、外套に手を通しながら、ちょっとテーブルの方を見た。と、そこに、新しい手の切れるような札束があった。競争に負・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・黙って引っこんでは居れんぞ。」「うむ、そうだ、そうだ。黙って泣寝入りは出来やせん!」 K市へ出かけて行った連中は埒があかなかった。「やっぱし、人間のずるい、金の融通のきく奴が、うまいことをしくさるんだ。」僕は、それを見ながら、こ・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・合いの喧嘩をはじめたり、また、私どもの店で使っているまだはたち前の女の子を、いつのまにやらだまし込んで手に入れてしまった様子で、私どもも実に驚き、まったく困りましたが、既にもう出来てしまった事ですから泣き寝入りの他は無く、女の子にもあきらめ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・しかし、最早や御近所へ披露してしまった後だから泣寝入りである。後略のまま頓首。大事にしたまえ。萱野君、旅行から帰って来た由。早川俊二。津島君。」 月日。「返事よこしてはいけないと言われて返事を書く。一、長篇のこと。云われるまでも・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・小鹿様のわがままとのみ解せられない事でございまして、世の中というものは、たいていそんなもので、いつの世に於いても、頭のよい偉い人には、この都合というものがたくさんございますような工合で、私どもは、ただ泣き寝入りのほかはございませんでして、さ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・しかるに、お前はいつも泣き寝入りだ。敢然とやったらどうだ。右の頬を打たれたなら左の頬を、というのは、あれは勝ち得べき腕力を持っていても忍んで左の頬を差出せ、という意味のようでもあるが、お前の場合は、まるで、へどもどして、どうか右も左も思うぞ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・奴あ、ギュッと巻き締められて、息の根を止められちまわあな。ボーイ長を見な。奴あ泣寝入りと云いたいんだが、泣寝入り処じゃねえや、泣き死にに死んじゃったじゃねえか。ヘッ、毛も生えないような、雛っ子じゃあるめえし、未だ、おいら泣き死にはしねえよ。・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫