東京の家は爆弾でこわされ、甲府市の妻の実家に移転したが、この家が、こんどは焼夷弾でまるやけになったので、私と妻と五歳の女児と二歳の男児と四人が、津軽の私の生れた家に行かざるを得なくなった。津軽の生家では父も母も既になくなり・・・ 太宰治 「庭」
先日、竹村書房は、今官一君の第一創作集「海鴎の章」を出版した。装幀瀟洒な美本である。今君は、私と同様に、津軽の産である。二人逢うと、葛西善蔵氏の碑を、郷里に建てる事に就いて、内談する。もう十年経って、お互い善蔵氏の半分も偉・・・ 太宰治 「パウロの混乱」
昭和二十年の八月から約一年三箇月ほど、本州の北端の津軽の生家で、所謂疎開生活をしていたのであるが、そのあいだ私は、ほとんど家の中にばかりいて、旅行らしい旅行は、いちども、しなかった。いちど、津軽半島の日本海側の、或る港町に・・・ 太宰治 「母」
・・・節子 その妻、三十一歳。しづ 節子の生母、五十四歳。奥田義雄 国民学校教師、野中の宅に同居す、二十八歳。菊代 義雄の妹、二十三歳。その他 学童数名。 所。津軽半島、海岸の僻村。 時。・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・あさ 伝兵衛の後妻、数枝の継母、四十五歳。金谷清蔵 村の人、三十四歳。その他 栄一 島田哲郎 いずれも登場せず。 所。津軽地方の或る部落。 時。昭和二十一年一月末頃より二月に・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・僕は二度も罹災して、とうとう、故郷の津軽の家の居候という事になり、毎日、浮かぬ気持で暮している。君は未だに帰還した様子も無い。帰還したら、きっと僕のところに、その知らせの手紙が君から来るだろうと思って待っているのだが、なんの音沙汰も無い。君・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
れいの、璽光尊とかいうひとの騒ぎの、すこし前に、あれとやや似た事件が、私の身辺に於いても起った。 私は故郷の津軽で、約一年三箇月間、所謂疎開生活をして、そうして昨年の十一月に、また東京へ舞い戻って来て、久し振りで東京の・・・ 太宰治 「女神」
・・・ 私はそれまで一年三箇月間、津軽の生家で暮し、ことしの十一月の中旬に妻子を引き連れてまた東京に移住して来たのであるが、来て見ると、ほとんどまるで二三週間の小旅行から帰って来たみたいの気持がした。「久し振りの東京は、よくも無いし、悪く・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・今日学校で武田先生から三年生の修学旅行のはなしがあった。今月の十八日の夜十時で発って二十三日まで札幌から室蘭をまわって来るのだそうだ。先生は手に取るように向うの景色だの見て来ることだの話した。津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ この八百枚余の長篇小説の舞台として津軽のとっぱな十三潟附近の寒村がとりあげられている。程ケ谷の紡績工場から故郷のその村に向って汽車にのっているヨシノとサダ子につれられて、二人の娘の気質の相異を理解しながら、読者は次第に北国へ向い、・・・ 宮本百合子 「作家への課題」
出典:青空文庫