・・・などいうだろうけれど、僕から見ればよくよくやむを得ぬという事情があるでもなく、二年も三年も妻子を郷国に置いて海外に悠遊し、旅情のさびしみなどはむしろ一種の興味としてもてあそんでいるのだ。それは何の苦もなくいわば余分の収入として得たるものとは・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・大阪朝日の待遇には余り平らかでなかったが、東京の編輯局には毎日あるいは隔日に出掛けて、海外電報や戦地の通信を瞬時も早く読むのを楽みとしていた。「砲声聞ゆ」という電報が朝の新聞に見え、いよいよ海戦が初まったとか、あるいはこれから初まるとか・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 青木は外国婦人を娶ったが、森は明治の初め海外留学の先駈をした日本婦人と結婚した。式を挙げるに福沢先生を証人に立てて外国風に契約を交換す結婚の新例を開き、明治五、六年頃に一夫一婦論を説いて婦人の権利を主張したほどのフェミニストであったか・・・ 内田魯庵 「四十年前」
田舎から東京をみるという題をつけたが本当をいうと、田舎に長く住んでいると東京のことは殆ど分らない。日本から外国へ行くと却て日本の姿がよく分るとは多くの海外へ行った人々の繰返すところであるし、私もちょっとばかり日本からはなれ・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・近頃海外では農芸に電気を応用する事がようやく盛んになろうとしているから、稲妻の伝説と何か故事つけが出来そうである。 九 炭 木材を蒸焼にすると大抵の有機物は分解して一部は瓦斯になって逃げ・・・ 寺田寅彦 「歳時記新註」
・・・に関する詳しい記事のありそうな本を捜していた時に、某書店の店員が親切にカタログをあさってともかくも役に立ちそうな五六種の書名を見つけてくれて、「海外注文」を出してもらったが、一年以上たってもただ一冊手に入っただけで、残りのものは梨のつぶてで・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ 日本人の仕事は、それがある適当な条件を備えたパッスを持つものでない限り容易には海外の学界に認められにくい。そうして一度海外で認められて逆輸入されるまではなかなか日本の学界では認められないことになっている。海外の学界でもやはり国際的封建・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・ 海外に起こった外交政治経済に関する電報は重要な新聞記事の一つである。こういうものがあらゆる階級の人に興味があるという事は望まるべき事でもあり、またそれが事実であるとしたところで、これらの報知を一日でも早く知る必要をほんとうに痛切に・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・日本には昔からずいぶんいろいろな危険思想が海外から幾度となく輸入されたが、それが抑圧に抗しながらやっと土着するころにはいつのまにかすっかり消化され日本化されてしまって結局はみんな大日本を肥やす肥料になっていた。 しかし科学的物質的の侵略・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・私は海外へ出ていてほとんど何事も知らずにいたが、日記を見るとそれに関する亮の煩悶のようなものがいくらかうかがわれる。四十二年十一月七日のには、「……近ごろ身内のものから手紙が来ると、父の病気が悪くなったのかとなんだか恐ろしい。……父の病・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
出典:青空文庫