・・・見ると、人間とも海鼠ともつかないようなものが、砂金の袋を積んだ中に、円くなって、坐って居ります。――これが目くされの、皺だらけの、腰のまがった、背の低い、六十ばかりの尼法師でございました。しかも娘の思惑を知ってか知らないでか、膝で前へのり出・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ 中へ何を入れたか、だふりとして、ずしりと重量を溢まして、筵の上に仇光りの陰気な光沢を持った鼠色のその革鞄には、以来、大海鼠に手が生えて胸へ乗かかる夢を見て魘された。 梅雨期のせいか、その時はしとしとと皮に潤湿を帯びていたのに、年数・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・学士先生の若夫人と色男の画師さんは、こうなると、緋鹿子の扱帯も藁すべで、彩色をした海鼠のように、雪にしらけて、ぐったりとなったのでございます。 男はとにかく、嫁はほんとうに、うしろ手に縛りあげると、細引を持ち出すのを、巡査が叱りましたが・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・それはほとんど生きているとは思われない海鼠のような団塊であったが、時々見かけに似合わぬ甲高いうぶ声をあげて鳴いていた。 三毛は全く途方にくれているように見えた。赤子の首筋をくわえて庭のほうへ行こうとしているかと思うと、途中で地上におろし・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・ 小な汚しい桶のままに海鼠腸が載っている。小皿の上に三片ばかり赤味がかった松脂見たようなもののあるのはである。千住の名産寒鮒の雀焼に川海老の串焼と今戸名物の甘い甘い柚味噌は、お茶漬の時お妾が大好物のなくてはならぬ品物である。先生は汚らし・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 此書は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき海鼠の様な文章であるから、たとい此一巻で消えてなくなった所で一向差し支えはない。又実際消えてなくなるかも知れん。然し将来忙中に閑を偸んで硯の塵を吹く機会があれば再び稿を続ぐ積である。猫が生き・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』上篇自序」
・・・腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠のような精神を抱いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通り越しているとお・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・紙に遊ぶ蛙かな心太さかしまに銀河三千尺夕顔のそれは髑髏か鉢叩蝸牛の住はてし宿やうつせ貝 金扇に卯花画白かねの卯花もさくや井出の里鴛鴦や国師の沓も錦革あたまから蒲団かぶれば海鼠かな水仙や鵙の草茎花咲きぬ ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・頭と胴と尾とばらばらになって海へ落ちて海鼠にでもなるだろうよ。偽なんか云うもんか。」 ポウセ童子が云いました。「そんなら王様に誓えるかい。」 彗星はわけもなく云いました。「うん、誓うとも。そら、王様ご照覧。ええ今日、王様のご・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・大きい海鼠焼の火鉢、風呂桶。今年のお盆に、母上がお金を下さり、重宝な箪笥とワードローブを買った。 目下、H町とAとの間にこだわりのある外、生活は滞りなく運行して居ると云ってよいだろう。 Aは健康で、女子学習院、明治、慶応に教え、岩波・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
出典:青空文庫