・・・そうして帰途は必ず、何くそ、と反骨をさすり、葛西善蔵の事が、どういうわけだか、きっと思い出され、断乎としてこの着物を手放すまいと固執の念を深めるのである。 単衣から袷に移る期間はむずかしい。九月の末から十月のはじめにかけて、十日間ばかり・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・もう少しあたりまえの日本人のあたりまえの表情をすることによってかえって真実味を深めるくふうはないものであろうか。われわれの日常生活において日常交渉のあるさまざまな人間の生きたタイプを映出することができないものであろうか。現在ではただ与えられ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・では、その希望を実現するために、事務技術の向上、または専門関係の知識を深めるために、講習をうけるとして、さて、時間の関係はどうだろう。勤労婦人が、家庭の女の用事と二重に働らかなければならない困難はあらゆる人が経験している。夜は不用心で、こわ・・・ 宮本百合子 「いのちの使われかた」
・・・けれども、先日の演奏会をきいたり、観たりして、本当の意味での音楽への愛、感性を一人一人の若い心の中に目ざめさせ、それを生活の味い深めるものとするのに、ああいう集団効果を、どっちかというとこけおどし風に強調した方法が、果して役立つかどうかと疑・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・ドストイエフスキーなどがよみ直されるのみならず、人間の神性とか獣性とかいう問題にからんで云々され、不安の問題が上程され、その深めるための文学的努力はされずに舟橋聖一氏は文学における行動性ということを主張しているし、なかなか壮観です。その行動・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・そして、そのことのためには、愛が益々その智慧を深めることが求められて来ている。 愛にはよく永遠とか、永劫変らぬとかいう形容が飾りとしてつけられる。けれども、この刻々に変ってゆく一般の情勢のなかで、その変化にひきずられずに変らぬ愛が満たさ・・・ 宮本百合子 「これから結婚する人の心持」
・・・こと、民間性が重んじられるべきこと、文化の相互的理解を深める機会として大国の襟度の示さるべきこと、又、年を同じくして日本文化連盟主催の万国文化大会も開催される由であるが、これとペンクラブの大会とは「依立する主軸と意図に相違ある」こと等が、諸・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・研究し、討議され、なっとくを深める機会を得ずにきている。日本のプロレタリア文学運動が兇暴な嵐に吹きちらされた一九三二年以来、当時、未熟なら未熟なりの誠実さで論じられていた諸課題が、討論されている最中であったその姿のままで、ちりぢりばらばらに・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・そこには、娘が年を重ね生活の経験を深めるにつれて、いよいよ思いやりをふかめずにいられなくなるような、若々しくしかも老年の思慮にみちた父のある情感、感懐が花や森や猟人に象徴して語られているのである。〔一九四一年四月〕・・・ 宮本百合子 「父の手紙」
・・・そうしてあの苦しみが強ければ強いほど、この安心の方法もまたその意味を深めるのである。 木下杢太郎は傷つきやすい心を持っている。悲哀にも沈みやすい。こうもりが光を恐れるように倫理的な苦しみを恐れる。それゆえに、「一生を旅行で暮らすような」・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫