・・・広く寒い港内にはどこからともなく流氷が集ってきて、何日も何日も、船も動かず波も立たぬ日があった。私は生れて初めて酒を飲んだ。 ついに、あの生活の根調のあからさまに露出した北方植民地の人情は、はなはだしく私の弱い心を傷づけた。 四百ト・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ なんぞ知らん、この家は青楼の一で、今女に導かれてはいった座敷は海に臨んだ一間、欄によれば港内はもちろん入り江の奥、野の末、さては西なる海の果てまでも見渡されるのである。しかし座敷は六畳敷の、畳も古び、見るからしてあまり立派な室ではなか・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・ 翌朝港内をこめていた霧が上がると秋晴れの日がじりじりと照りつけた。電車で街を縦走して、とある辻から山腹の方へ広い坂道を上がって行くと、行き止まりに新築の大神宮の社がある。子守が遊んでいる。港内の眺めが美しい。この山の頂上へ登られたら更・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・という小品の中に、港内に碇泊している船の帆柱に青い火が灯っているという意味のことを書いてあるのに対して、船舶の燈火に関する取締規則を詳しく調べた結果、本文のごとき場合は有り得ないという結論に達したから訂正したらいいだろうと云ってよこした人が・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・再びとろ/\として覚むれば船は既に港内に入って窓外にきらめく舷燈の赤き青き。汽笛の吼ゆるごとき叫ぶがごとき深夜の寂寞と云う事知らぬ港ながら帆柱にゆらぐ星の光はさすがに静かなり。革鞄と毛布と蝙蝠傘とを両手一ぱいにかかえて狭き梯子を上って甲板に・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・釜石の港へはいると、何とも知れない悪臭が港内の空気に滲み渡っていて、浜辺に近づくほどそれが猛烈になる。夥しいかもめの群れが渦巻いている。いかの大漁があったのが販路を失って浜で腐ったのであった。上陸後半日もすると、われわれ一行の鼻の神経は悪臭・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・福島屋の其部屋から、遙に港内が瞰下せた。塗り更えに碇泊して居るらしい大きい二隻の汽船の赤い腹の周囲を、小蒸汽が小波立てて往来する。夕飯前の一散歩に、地図携帯で私共は宿を出た。彼此五時頃であったろうか。 雨あがりだから、おっとりした関西風・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
出典:青空文庫