・・・……どっちだかそれは解らんが、とにかく相互の熱情熱愛に人畜の差別を撥無して、渾然として一如となる、」とあるはこの瞬間の心持をいったもんだ。 この犬が或る日、二葉亭が出勤した留守中、お客が来て格子を排けた途端に飛出し、何処へか逃げてしまっ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・序幕としてこんなに渾然としたものは割合に少ないようである。 不幸な夫ルパートが「第三者」アリスンの部屋から二階の妻ジュリーの部屋への隠れた通い路を発見して、暗い階段をびっこ引きながら上がって行く。二階からはピアノが聞こえて来る。階段を上・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・要するにこの映画ではこういうものがあまり錯雑し過ぎていた、なんとなく渾然としない感じがする。これに比べると「モロッコ」の太鼓とラッパの一貫したモティフの繰り返しはよほど洗練されたものである。そう言えば「青い天使」の舞台や楽屋の間のシーンも視・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 連句には普通の言葉で言い現わせるような筋は通っていないが、音楽的にちゃんと筋道が通っており、三十六句は渾然たる楽章を成している。そういう意味での筋の通った連句的な映画を見せてくれる人はないものかと思うのである。 パラマウント・ニュ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・た反対に零細のスケッチを無価値として軽侮する人もあるかもしれないが、科学というものの本来の目的が知識の系統化あるいは思考の節約にあるとすれば、まずこれらのスケッチを集めこれを基として大きな製作をまとめ渾然たる系統を立てるのが理想であろう。こ・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・これが時の精錬器械にかかって渾然とした一つの固有文化を形成するまでには何百年待たなければならないことか見当もつかない次第である。おそらくいつまでもそうならないところに日本文化の特徴があるかもしれない。 あひるは四五日の間に目に見えて肥っ・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・舞台の奥に奏楽者の席のあるのは能楽の場合も同様であるが、正面に立てた屏風は、あれが方式かもしれないが私の眼にはあまり渾然とした感じを与えない。むしろ借りて来たような気のするものである。 烏帽子直垂とでもいったような服装をした楽人達が色々・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・例えば従順と倨傲と、あるいは礼譲とブルタリティと、二つの全く相反するものが互いに密に混合して、渾然としたものに出来上がったとでも云ったらよいか。これが邪魔になって、私はどうしてもこの階級の人達に対して親しみを感じる訳に行かない。 それで・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・万葉の短歌や蕉門の俳句におけるがごとく人と自然との渾然として融合したものを見いだすことは私にははなはだ困難なように思われるのである。 短歌俳諧に現われる自然の風物とそれに付随する日本人の感覚との最も手近な目録索引としては俳諧歳時記がある・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・そうして懐紙のページによって序破急の構成がおのずから定まり、一巻が渾然とした一楽曲を形成するのである。 発句は百韻五十韻歌仙の圧縮されたものであり、発句の展開されたものが三つ物となり表合となり歌仙百韻となるのである。発句の主題は言葉の意・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫