・・・椿が濃い紅の実をつづる下に暗くよどんでいる濠の水から、灘門の外に動くともなく動いてゆく柳の葉のように青い川の水になって、なめらかなガラス板のような光沢のある、どことなく LIFELIKE な湖水の水に変わるまで、水は松江を縦横に貫流して、そ・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・ 小娘は釣をする人の持前の、大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て、屹然として立っている。そして魚を鉤から脱して、地に投げる。 魚は死ぬる。 湖水は日の光を浴びて、きらきらと輝いて、横わっている。柳の、日に蒸されて腐る水草・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
段ばしごがギチギチ音がする。まもなくふすまがあく。茶盆をふすまの片辺へおいて、すこぶるていねいにおじぎをした女は宿の娘らしい。霜枯れのしずかなこのごろ、空もしぐれもようで湖水の水はいよいよおちついて見える。しばらく客という・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・池は五、六万坪あるだろう、ちょっと見渡したところかなり大きい湖水である。水も清く周囲の岡も若草の緑につつまれて美しい、渚には真菰や葦が若々しき長き輪郭を池に作っている。平坦な北上総にはとにかく遊ぶに足るの勝地である。鴨は真中ほどから南の方、・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・月末の払いが不足する時などは、借金をするんも胸くそ悪し、いッそ子供を抱いたまま、湖水へでも沈んでしまおか思うことがある。」 こういう話を聴きながら、僕はいつの間にか寝入ってしまったが、酔いの覚めて行くに従って、目も覚めて来て、再び眠られ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・この湖水を見いだしただけでもこの旅はむだではなかった。あのすばらしい四辺の山々を見るがいい。」と、元気な、Kがんが、いいました。「それにちがいない。いま、忘れていた記憶がすっかり甦えってきた。これから、もっと、もっと、北へさしてゆくと私・・・ 小川未明 「がん」
・・・あなた、湖水の方へ行ってごらんなされましたかと聞く。いえまだ、実は今宿を出ましたばかりで、と気を置けば言葉もすらりとは出でず、顔もおのずから差し俯向かるるを、それならば御一しょに、ちとそこらを歩いて見ましょう。今日は気も晴々として、散歩には・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・沖はよく和ぎて漣の皺もなく島山の黒き影に囲まれてその寂なるは深山の湖水かとも思わるるばかり、足もとまで月影澄み遠浅の砂白く水底に光れり。磯高く曳き上げし舟の中にお絹お常は浴衣を脱ぎすてて心地よげに水を踏み、ほんに砂粒まで数えらるるようなと、・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・城山の麓にて撞く鐘雲に響きて、屋根瓦の苔白きこの町の終より終へともの哀しげなる音の漂う様は魚住まぬ湖水の真中に石一個投げ入れたるごとし。 祭の日などには舞台据えらるべき広辻あり、貧しき家の児ら血色なき顔を曝して戯れす、懐手して立てるもあ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 十日前のこと、自分は縁先に出て月を眺め、朧ろに霞んで湖水のような海を見おろしながら、お露の酌で飲んでいると、ふと死んだ妻子のこと、東京の母や妹のことを思いだし、又この身の流転を思うて、我知らず涙を落すと、お露は見ていたが、その鈴のよう・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫