・・・涙を溜めてもいなかった。だが、俺を一度でおどかしやがった。フン、俺も大分焼が廻ったな。あんな小僧っ子の事で、何だ、グズグズ気をとられてるなんて、他事 汽車が、速度をゆるめた。彼は、眠った風をして、プラットフォームに眼を配った。プラットフ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ ひろ子が笑い涙を溜めながら囃した。「こんな嫁はんあらへん――親出や、親出や」「階下へいて見せたろ」「――一寸待って、何ぞ頭へ被らなあかへんわ、ええもんがある、ええもんがある」 その上に姉様かぶりを手拭でさせられた章子を・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・金持というのが漫画にあるように袋に金を詰めて金庫に溜めて、金鎖の太いのをお腹の上にたらしているような罪のないものならば、漫画にしておけばすむのですけれども、本当の資本家というのはそれはそれは抜け目がない。私共がわずかのお金で魔法みたいにして・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・私が大きな楡の樹蔭の三階で、段々近眼に成りながら、緩々と物を書き溜めて居るうちに、自然は確実な流転を続けて居ります。今も恐るべき単調さで降りしきって居る雨が晴れたら、地上はきっともう秋に成って居りますでしょう、雨が好きな私も、毎日毎日同じ水・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・何処かで人間らしいあったかい人づきあいを欠いて、やっとこさと金を溜めて、どうやら家を建てるより子供の教育だ、立派な子孫を残すために、小さい碌でもない財産を置くより子供の体にかけようと熱心に貯金していたら、それがどうでしょう、このごろは金の値・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
・・・ 何とか彼とか理窟をつけて、溜めたくないようなふりをしている者のお仲間入りをしていられるものか。何と云われたってかまわずドシドシ溜れば、それでいいのだ。ああそれでいいのだとも……。 どんな僅かの機会でも、決して見逃すことのない彼女は・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・燭台の蝋をそっとかき集め、それを鰯の空罐に溜め、少し燈明油を加えて、糸の縛ったのを燈心にした。それは毎夜煖炉の上で燻った燈火となってゴーリキイと本とを照した。本の頁を繰るたびに、弱い赤っぽい焔は揺れ、顫える。ひどく臭く、煙は目にしみた。けれ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・馬は猫背の横で、水を充分飲み溜めた。ザク、ザク、ザク。 九 馬は馬車の車体に結ばれた。農婦は真先に車体の中へ乗り込むと街の方を見続けた。「乗っとくれやア。」と猫背はいった。 五人の乗客は、傾く踏み段に気を・・・ 横光利一 「蠅」
・・・ 吉は飲みかけた湯を暫く口へ溜めて黙っていた。「吉がこの間研いでいましたよ。」と姉は言った。「吉、お前どうした。」 やはり吉は黙って湯をごくりと咽喉へ落し込んだ。「うむ、どうした?」 吉が何時までも黙っていると、・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫