・・・この頃その短歌滅亡論という奴が流行って来たじゃないか。A 流行るかね。おれの読んだのは尾上柴舟という人の書いたのだけだ。B そうさ。おれの読んだのもそれだ。然し一人が言い出す時分にゃ十人か五人は同じ事を考えてるもんだよ。A あれ・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・一国一都市の勃興も滅亡も一人一家の功名も破滅も二十五年間には何事か成らざる事は無い。 博文館は此の二十五年間を経過した。当時本郷の富坂の上に住っていた一青年たる小生は、壱岐殿坂を九分通り登った左側の「いろは」という小さな汁粉屋の横町を曲・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・併し其の本能の満足を遂げつゝある間に、人間は自己の滅亡という事を予想せずには居られない。此に於てか痛切に吾々の脳裡に『何処より何処へ行くか』という考えも起るのである。又『此の地上に生れ出でゝ果して何を為すがために生活するか』という様な問題も・・・ 小川未明 「絶望より生ずる文芸」
・・・動物の群集にもあれ、人間の社会にもあれ、この二者のつねに矛盾・衝突すべき事情のもとにあるものは滅亡し、一致・合同しえたるものは繁栄していくのである。 そして、この一致・合同は、つねに自己保存が種保存の基礎であり、準備であることによってお・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・「御覧なさい、御城の周囲にはいよいよ滅亡の時期がやって来ましたよ……これで二三年前までは、川へ行って見ても鮎やハヤが捕れたものでサ。いくら居なくなったと言っても、まだそれでも二三年前までは居ました……この節はもう魚も居ません……この松林・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 明治年代に記憶すべき、大きな出来事の一つは、士族の階級の滅亡である。その階級が有てる凡てのものの滅びて行ったことである。その士族の子孫の中から北村君のような物を考える人が生れて来たということは私には偶然では無いように思われる。猶、新時・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・昔は東海道でも有名な宿場であったようですが、だんだん寂れて、町の古い住民だけが依怙地に伝統を誇り、寂れても派手な風習を失わず、謂わば、滅亡の民の、名誉ある懶惰に耽っている有様でありました。実に遊び人が多いのです。佐吉さんの家の裏に、時々糶市・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・私は自身を滅亡する人種だと思っていた。私の世界観がそう教えたのだ。強烈なアンチテエゼを試みた。滅亡するものの悪をエムファサイズしてみせればみせるほど、次に生れる健康の光のばねも、それだけ強くはねかえって来る、それを信じていたのだ。私は、それ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・おれは滅亡の民であるという思念一つが動かなかった。早く死にたい願望一つである。おのれひとりの死場所をうろうろ捜し求めて、狂奔していただけの話である。人のためになるどころか、自分自身をさえ持てあました。まんまと失敗したのである。そんなにうまく・・・ 太宰治 「花燭」
・・・「呑むか?」美濃は、机上のウイスキイの瓶に手をかけた。「敢えて辞さない。」詩人も立ちあがった。 これでいいのだ。「ロオマの人のために。」ふたり同時に言い、かちっとグラスを触れ合せる。「滅亡の階級のために。チェリオ。」 ・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫