句合の題がまわって来た。先ず一番に月という題がある。凡そ四季の題で月というほど広い漠然とした題はない。花や雪の比でない。今夜は少し熱があるかして苦しいようだから、横に寝て句合の句を作ろうと思うて蒲団を被って験温器を脇に挟みながら月の句・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・一太は、ただ漠然いつ朝鮮へ行くのだろうと思った。この頃一太の母はこうして訪ねた先々で朝鮮行きのことを話した。一太にも話した。母親は一太をつかまえて大人に相談するように、「ねえ一ちゃん。いっそ朝鮮のおじさんとこへでも行くかねえ。こういいめ・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・そういう愛情は日本の社会でいわば公認の愛の局面であるが、自分に向けられる母の愛、気づかい、心配などを、有難いとともに漠然負担に感じないで暮している娘さんたちが今日はたして何人あるだろうか。日本の女の自己犠牲の深さということを一方においてみる・・・ 宮本百合子 「女の自分」
・・・ぶらぶら歩いていると、漠然、自然と人間生活の緩漫な調和、譲り合い持ち合いという気分を感じ長閑になる。つまり、畑や電柱、アンテナなどに文明の波が柔く脈打っているため、威圧的でない程度に自然が浮き上り、一種の田園美をなしている。いつか、長崎村附・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・という言葉の本体さえ見きわめられず、漠然、作家も大衆の感情を感情せよという風な流行が生じ、そのことは結果として、あり来った純文学の単純な在来の通俗化をひき起したりしている。『文学界』六月号所載川上喜久子氏の「郷愁」という作品などは、文学の大・・・ 宮本百合子 「今日の文学に求められているヒューマニズム」
・・・として」その社会的良心を云々しようとすること並に、「人間性の全体的表現は行為的瞬間に直観的に認識される」と漠然規定して人間行為の社会関係を抽出してしまっていること等は、創作方法におけるリアリズムの理解にあたって、文学は文学そのものとして常に・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・それに対して漠然直感されている各人の日頃からの感想というようなものも、その題への一瞥と同時に動かされて来るのを感じると思う。自分たちが嘗てはそのものであった学生、兄や弟や仲間たちが皆そうである学生、よろこんだり悲しんだり不幸をもったりして成・・・ 宮本百合子 「生態の流行」
・・・あながち志壮なるが故にではなく、ごく古くからありふれた習俗の枠にはまった考えかたで、恋愛と青春の放埒と漠然混同し、その場その場で精神と肉体とを誘い込む様々の模造小路を彷徨しつつ、身を堅める時は結婚する時という風な生き方である。 そういう・・・ 宮本百合子 「成長意慾としての恋愛」
・・・ 夜とともに、砂漠には、底に潜んだほとぼりと、当途ない漠然とした不安が漲った。 稲妻が、テイブル・ランドの頂で閃いた。月はない。半睡半醒の夜は過敏だ。――アリゾナ―― 青みどろの蔓った一つの沼。 四辺一面草の茂った沢・・・ 宮本百合子 「翔び去る印象」
・・・僅かの旅客の後に跟き、私共は漠然期待や好奇心に満ちて改札口を出た。赤帽と、合羽を着た数人の俥夫が我々をとり巻いた。「お宿はどこです」「お俥になさいますか」「――ふむ――まだ宿をきめていないんだが、長崎ホテル、やっていますか」・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫