・・・すると、その五味が皆火花になって、眼といわず、口といわず、ばらばらと遠藤の顔へ焼きつくのです。 遠藤はとうとうたまり兼ねて、火花の旋風に追われながら、転げるように外へ逃げ出しました。 三 その夜の十二時に近い時分・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・けれどもあるお嬢さんの記憶、――五六年前に顔を合せたあるお嬢さんの記憶などはあの匂を嗅ぎさえすれば、煙突から迸る火花のようにたちまちよみがえって来るのである。 このお嬢さんに遇ったのはある避暑地の停車場である。あるいはもっと厳密に云えば・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・時々小さい火の光りが流れるように通りすぎるが、それも遠くの家の明りだか、汽車の煙突から出る火花だか判然しない。その中でただ、窓をたたく、凍りかかった雨の音が、騒々しい車輪の音に単調な響を交している。 本間さんは、一週間ばかり前から春期休・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ 三六 火花 やはりそのころの雨上がりの日の暮れ、僕は馬車通りの砂利道を一隊の歩兵の通るのに出合った。歩兵は銃を肩にしたまま、黙って進行をつづけていた。が、その靴は砂利と擦れるたびに時々火花を発していた。僕はこのかす・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・怪しげな煙筒からは風にこきおろされた煙の中にまじって火花が飛び散っていた。店は熔炉の火口を開いたように明るくて、馬鹿馬鹿しくだだっ広い北海道の七間道路が向側まではっきりと照らされていた。片側町ではあるけれども、とにかく家並があるだけに、強て・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 芳様の跫音が聞えたので、はッと気が着いて駈出したが、それまでどうしていたんだか、まるで夢のようでと火花の散るごとく、良人の膚を犯すごとに、太く絶え、細く続き、長く幽けき呻吟声の、お貞の耳を貫くにぞ、あれよあれよとばかりに自ら恐れ、自ら・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・翼の鈍い、大きな蝙蝠のように地摺に飛んで所を定めぬ、煎豆屋の荷に、糸のような火花が走って、「豆や、煎豆、煎立豆や、柔い豆や。」 と高らかに冴えて、思いもつかぬ遠くの辻のあたりに聞える。 また一時、がやがやと口上があちこちにはじま・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・じっと、水の底に沈んで、暗い上の方で、一ところだけが、赤く、電のように、ちらちらと火花を散らしているのを、怖ろしげにながめていました。「お母さん、春になると、どうなるのですか?」と、子供は、いいました。 子供は、去年の春、生まれ・・・ 小川未明 「魚と白鳥」
・・・ 蟹田なる鍛冶の夜業の火花闇に散る前を行過ぎんとして立ちどまり、日暮のころ紀州この前を通らざりしかと問えば、気つかざりしと槌持てる若者の一人答えて訝しげなる顔す。こは夜業を妨げぬと笑面作りつ、また急ぎゆけり。右は畑、左は堤の上を一列に老・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに一面の火花を放つというも特異の美観ではあるまいか。もし高きに登りて一目にこの大観を占めることができるならこの上もないこと、よしそれができ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
出典:青空文庫