・・・一刻も早く、家から出て行きたい様子でしたが、炎天つづきの東京にめずらしくその日、俄雨があり、夫は、リュックを背負い靴をはいて、玄関の式台に腰をおろし、とてもいらいらしているように顔をしかめながら、雨のやむのを待ち、ふいと一言、「さるすべ・・・ 太宰治 「おさん」
・・・って、ああ、夕立よ、ざっと降れ、銀座のまんなかであろうと、二重橋ちかきお広場であろうと、ごめん蒙って素裸になり、石鹸ぬたくって夕立ちにこの身を洗わせたくてたまらぬ思いにこがれつつ、会社への忠義のため、炎天の下の一匹の蟻、わが足は蠅取飴の地獄・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ やっぱり怒れず、そのまま炎天の都塵、三度も、四度も、めまいして、自動車にひかれたく思って、どんどん道路横断、三里のみちを歩きながら、思うことには、人間すべて善玉だ。豪雨の一夜、郊外の泥道、這うようにして荻窪の郵便局へたどりついて一刻争・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・もっともI君の家は医家であったので、炎天の長途を歩いて来たわれわれ子供たちのために暑気払いの清涼剤を振舞ってくれたのである。後で考えるとあの飲料の匂の主調をなすものが、やはりこの杏仁水であったらしい。 明治二十年代の片田舎での出来事とし・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ 子供の時分に、郷里の門前を流れる川が城山のふもとで急に曲がったあたりの、流れのよどみに一むらの蒲が生い茂っていた。炎天のもとに煮えるような深い泥を踏み分けては、よくこの蒲の穂を取りに行ったものである。それからというものは、今日までほと・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・南国の炎天に蒸された樹林は「小さなうごめく生命」の無尽蔵であった。人のはいらないような茂みの中には美しいフェアリーや滑稽なゴブリンの一大王国があったのである。後年「夏夜の夢」を観たり「フォーヌの午後」を聞いたりするたびに自分は必ずこの南国の・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・せんだんの花のこぼれる南国の真夏の炎天の下を、こうした、当時の人の目にはスマートな姿でゆっくり練り歩きながら、声をテノルに張り上げて歌う文句はおおよそ次のようなものであった、「エーエ、ホンケーワーア、サンシューノーオー、コトヒーラーアヨ。。・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・南国の炎天に写生帳をさげて、よくいっしょに水彩画をかきに出かけたりした。自転車の稽古をして、少し乗れるようになってからいっしょに市外へ遠乗りに行って、帰りに亮が落ちて前歯を一本折った事もあった。 そのころの亮の写生帳が保存されているのを・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・ 唯不幸にして自分は現代の政治家と交らなかったためまだ一度もあの貸座敷然たる松本楼に登る機会がなかったが、しかし交際と称する浮世の義理は自分にも炎天にフロックコオトをつけさせ帝国ホテルや精養軒や交詢社の階段を昇降させた。有楽座帝国劇場歌・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・石榴の花と百日紅とは燃えるような強い色彩を午後の炎天に輝し、眠むそうな薄色の合歓の花はぼやけた紅の刷毛をば植込みの蔭なる夕方の微風にゆすぶっている。単調な蝉の歌。とぎれとぎれの風鈴の音――自分はまだ何処へも行こうという心持にはならずにいる。・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫