・・・炬燵を切ったあたりは畳も焼け焦げて、紙を貼り着けてある。住み荒した跡だ。「まあ、こんなものでしょう」 と先生は高瀬に言って、一緒に奥の方まで見て廻った。「一寸、今、他に貸すような家も見当りません……妙なもので、これで壁でも張って・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・舌焼け、胸焦げ、空高き雁の声を聞いている。今宵、風寒く、身の置きどころなし。不一。 さらに一通は、 かなしいことには、あれでさえ、なおかつ、狂言にすぎなかった。われとわが額を壁に打ちつけ、この生命絶たむとはかった。あわれ、これも・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・彼はその時分の事をいろいろ思い出していた。焦げた百合の香ばしいにおいや味も思い出したが、それよりもそれを炒ってくれた宿の人々の顔やまたそれに付きまとうた淡いロマンスなどもかなりにはっきりと思い出された。その時分の彼はたとえ少々の病気ぐらいに・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・峰の茶屋で生まれたのが人間に付いて登って来たものであろうか。焦げ灰色をした蝶が飛んでいる。砂の上をはっている甲虫で頭が黒くて羽の煉瓦色をしているのも二三匹見かけた。コメススキや白山女郎花の花咲く砂原の上に大きな豌豆ぐらいの粒が十ぐらいずつか・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・土蔵もみんな焼け、所々煉瓦塀の残骸が交じっている。焦げた樹木の梢がそのまま真白に灰をかぶっているのもある。明神前の交番と自働電話だけが奇蹟のように焼けずに残っている。松住町まで行くと浅草下谷方面はまだ一面に燃えていて黒煙と焔の海である。煙が・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ 其日は朝から焦げるように暑かった。太十は草刈鎌を研ぎすましてまだ幾らもなって居る西瓜の蔓をみんな掻っ切って畢った。そうして壻の文造に麦藁から蔓から深く堀り込んでうなわせた。文造はじりじり日に照りつけられながら、時節でもない畑をうなった・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ ほんとうにそこはもう上の野原の入り口で、きれいに刈られた草の中に一本の大きな栗の木が立って、その幹は根もとの所がまっ黒に焦げて大きな洞のようになり、その枝には古い繩や、切れたわらじなどがつるしてありました。「もう少し行ぐづどみんな・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・といいながらとうとう焦げて死んでしまいました。 * なるほどそうしてみると三人とも地獄行きのマラソン競争をしていたのです。 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・ 慰められるにつれて、しんから底から自暴自棄になっていたお石は、ようよう気を持ちなおすに従って、体ごと真黒焦げに成ってしまいそうな怨みの焔が、途方もない勢で燃え熾って来るのを感じた。 何かしてやれ! 何とかしてくれたら、はあなじ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・アスファルトの道ばたには、半分焦げのこった電柱だの、焼け垂れたままの電線、火熱でとけて又かたまったアスファルトのひきつれなどがあった。焼トタンのうずたかい暗い道の上で、通行人は互に近づく黒い影を目じるしにしてよけあってとおっていた。「―・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫