・・・英独仏などの科学国の普通教育の教材にはそんなものはないと云う人があるかもしれないが、それは彼地には大地震大津浪が稀なためである。熱帯の住民が裸体で暮しているからと云って寒い国の人がその真似をする謂われはないのである。それで日本のような、世界・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・ 日本画部から受けた灰色の合成的印象をもって洋画部へはいって行くと、冬枯れの野から温室の熱帯樹林へはいって行くような気持がするのは私ばかりではあるまい。製作のミリウ〔milieu 環境〕がちがうとは云え、培養された風土民俗が違うとは・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・活力の満ちた、しめっぽい熱帯の空気が鼻のあなから脳を襲う。椰子の木や琉球の芭蕉などが、今少し延びたら、この屋根をどうするつもりだろうといつも思うのであるが、きょうもそう思う。ハワイという国には肺病が皆無だとだれかの言った事を思い出す。妻は濃・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・今思いだすだけでも熱帯の暑さの記憶は実に美しい幻影で装飾されている。しかし岡山や高松の暑さの思い出にはそれがない。後楽園や栗林公園はやはり春秋に見るべきであろう。九十五度の風が吹くと温帯の風物は赤土色の憂愁に包まれてしまうのである。 喉・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・現在の日本はカラフト国境から台湾まで連なる島環の上にあって亜熱帯から亜寒帯に近いあらゆる気候風土を包含している。しかしそれはごく近代のことであって、日清戦争以前の本来の日本人を生育して来た気候はだいたいにおいて温帯のそれであった。そうしてい・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・薬びん台に載せて始めてよく見ると、葉鶏頭に似た樹冠の燃えるような朱赤色は実に強い色である、どうしても熱帯を思わせる色である。花よりはむしろ鳥類の飾り毛にでもふさわしい色だと思う。頂上を見ると黄色がかった小さい花が簇生しているが、それはきわめ・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・花ばかりでなくいろいろ美しい熱帯の観葉植物の燃えるような紅や、けがれのない緑の色や、典雅な形態を見ればたれしも蘇生するここちのしない人はあるまい。そしてこのわれわれの衣食住の必要品やぜいたく品を所狭くわずらわしく置きならべた五層楼の屋上にこ・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・一帯に熱帯風な日本の生活が、最も活々として心持よく、決して他人種の生活に見られぬ特徴を示すのは夏の夕だと自分は信じている。 虫籠、絵団扇、蚊帳、青簾、風鈴、葭簀、燈籠、盆景のような洒々たる器物や装飾品が何処の国に見られよう。平素は余りに・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・まして台湾以南の熱帯地方では椰子とかバナナとかパインアップルとかいうような、まるで種類も味も違った菓物がある。江南の橘も江北に植えると枳殻となるという話は古くよりあるが、これは無論の事で、同じ蜜柑の類でも、日本の蜜柑は酸味が多いが、支那の南・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 想像の豊かな若者なら、きっとその蔭に照る強い日の色、風の光、色彩の濃い熱帯の鳥の翼ばたきをまざまざと想うことが出来るに違いない。 そう思って見れば、これ等の瑞々しい紫丁香花色の花弁の上には敏感に、微に、遠い雲の流れがてりはえている・・・ 宮本百合子 「小景」
出典:青空文庫