・・・母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いている。子供は何とも云わなかった。しばらくしてから「あっち」と答えるようになった。母が「いつ御帰り」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑っていた。その時は母も笑った。そうして「今に御帰り」と云う言葉・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・政子さんのお父様は立派な学者でしたが、体がお弱くて、早くお没なりになり、お母様も直ぐ死んでおしまいになったので、まだ小さい政子さんはたった一人ぼっちの可哀そうな子供になってしまいました。そこで、伯父様に当る芳子さんの御両親が、自分の子のよう・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・ 母は益々不機嫌に、「だから始っから、父様さえちゃんとしてとりかえさせておしまいになればいいのに――もう二年だよ、来るたんびに水が出ない、水が出ないって」 母は糖尿病であった。それ故じき癇癪が起り、腹が減り、つまり神経が絶えず焦・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・「あれはお父様が西洋のねまきだってさ」 そう云って母は青々と木の茂った庭へ目をやったきりだった。その庭の草むしりを、母は上の二人の子供あいてに自分でやっているのだった。ねまきはいいものでないということは、子供の心にもわかって、だまっ・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・子供のことで、お父様の自転車というと、すぐ、亀の尾をぶったのよ、とあとつけ、よく笑ったものでした。それほどはっきりした印象としてのこったのは、下村観山氏が漫画をかいてロンドンから送って下すったからでした。いくつかコマのある続き絵で、その当時・・・ 宮本百合子 「写真に添えて」
・・・――それに……この頃では父様の力というものも分って来たし……これ以上の成功は望めないと思って来たしね」 黙って母の傍に自分も横わりつつ、なほ子は心に感じてそれ等の言葉をきいた。母の心の内部に新しい転機が来かけている。それが、どこかで自分・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・「へーえ、あれお父様ただ貰ったんだろう?」「そうじゃないらしいわ、この間帳面見たら 野原五人立ち200だしてこれを買ったの?――どうかと思うね」 宮本百合子 「生活の様式」
・・・百合ちゃんはお父様とどこへでも行って暮したらいいだろうと云うようなこともある。だが、それらは今思えばどれも熾な生活力に充ちた親たちの性格があげた波の飛沫で、私はそのしぶきをずっぷりと浴びつつ、自分も、あの波この波をその波のうねりに加えながら・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・「そうお、私困ったわ、父様が九州へいらっしゃると云ってしまってよ、もう」「変だね、始めて聞くように云っていらしったよ」「じゃあお忘れになったのよ、却ってよかったわ」 父の旅行先には、毎日夕刻「ハハカワリナシ」と電報を打った。・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・ お母様のおっしゃった事、 お父様のおっしゃった事、 神様のおっしゃる事はいつでも一緒に歩いてるんですもの。旅 ほんとにね。 自分一人は又世界中の人でなけりゃあいけません。 それから私は毎日毎日一生懸命に歩いてるんで・・・ 宮本百合子 「旅人(一幕)」
出典:青空文庫